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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

谷口雅春の大復活 -霊界見聞録- 2  

谷口雅春の大復活128-182


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如来の条件

さて如来の生活ということで、こちらでは立志伝中の偉人が多いという話をいたしましたが、
「如来の条件とは何か」ということを、私がこちらに還ってわずか三年余りですが、
三年の間に知り得たこと、これを多少お話をしておこうと思います。

こうしてみると、やはり如来というのは一宗一派を開いたというか、あるいはオリジナリティーと言いますか、
何かそういうものがあるというのを感じるわけです。

まあ山で言えば大変な山であって、富士山だとか八ヶ岳とか、こういうふうなそびえ立っている山の感じを受けます。

谷口雅春がそびえ立つ山かどうかは現時点ではわからないとしても、おそらく何百年か、
あるいは千年、二千年後になった時に、プロティノスや伊邪那岐大神程度の名にはなるものと私は思います。

おそらくその程度の仕事はしたということが、後の世の人々にも褒めていただけることになると思います。

こういうふうに考えてみると、如来の条件というのは、
ひとつには根源的なる思想を世に問うということがその条件ではないかと思います。

根源的というのはどういうことかと言うと、単に師匠がいて、師匠の教えを受けて伝道するとか、
あるいは昔いた師匠、歴史上の師匠の教えを解釈してそれを伝える、こういうのは菩薩であって、
まだ如来とは言えないのではないか、そういうふうに思うわけです。

お師匠さんがいてその教えを受け継いでもいいけれども、
それをさらに自らのオリジナリティを加えながら発展させたような思想となれば、
これまた如来と言えるのではないか。そのように思います。

もちろん日本神道系にも、神々と言われる方の中には如来の数は大変多いわけですが、
いかんせん、その思想とは何かということが明らかには残っておりません。

しかし、それぞれの人がなかなかしっかりした考えを持っていることは事実ですし、
日本神道は日本神道で何千年にもわたって同じく生活をしているために、
思想的にはずいぶん似通ったところがあると思います。
そうした似通った思想を持っていると思います。

あと、根源的思想ということ以外に如来の条件をあえてあげるとするならば、
その影響力の大きさということが言えるのではないかと思います。

やはり如来たる者、相当の影響力を持っている。そういうふうに言えると思います。
一時代を画するような仕事をする、生きている時はそれほどでもなかったとしても、死後やがて評価されて、
それだけの仕事だと認められていく。そういうふうに言えると思う。

こうしてみると、如来とはなんぞやということだけれども、神の真理の芸術のリーダーだね。

そういうふうに言えると思う。神というのは地球大の大きなキャンバスに絵を描こうとしておられて、
役割分担を決めておられるんだね。

そして上の方のリーダー、右の方のリーダー、下の方のリーダー、こういうふうなリーダーに、
それぞれ分担させてキャンバスに絵を描かしている。

そしてそのリーダーの中でも、たとえば青い絵の具担当であるとか、赤い絵の具担当であるとか、
白い絵の具担当であるとか、こういうふうに色彩担当の方もいて、そしてまたそのリーダーがいる。

こういうことだね。これが如来という方だろう。まあそのように私は考える。





category: 霊界見聞録

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