心の探求 -心の段階- 9 
2022/09/29 Thu. 23:19

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心の波長と行動との関係
やはり、心の波長というものをよくしてゆかなければならないのです。
その心の波長をよくしてゆくためには、毎日毎日の思うこと、行なうことを、
清く正しくしてゆく以外にないわけです。
思いが浄化され、清くなってゆくその確認のためには、
それが行ないとして現われてこなければいけないわけです。
人間がゼンマイ仕掛けの自動人形でない以上、かってに動くようなことはないのです。
かってに手が動き、足が動くようなことはありません。
行動というものの背景には、心があります。想いがあります。
したがって、想いというものを確認できないならば、
その行動というのをみつめてみれば、想いのありようがわかります。
行動というものには、客観性があります。
たとえ、自分が如来や菩薩だと思っていても、自分のやっていること自体を見れば、
口を開けば人の悪口をいう、手を動かせば、ペンでは人の批判ばかりを文章に書いて発表しているというならば、
これが如来や菩薩の心であるかどうかは、その行ないを見れば、すぐわかってしまうわけです。
想いという自分の心のなかに対して、どうしても人間は甘くなってしまいます。
よいほうに、よいほうに、考えてしまう傾向があるわけですね。
この人たちは、行動というものをもう一度点検してみる必要があります。
行動というのは、確かによくない行動というのがあるわけです。
これが昔からいわれている道徳律です。
これに照らしてみて、よくない行動というのがあります。
道徳律に照らしてみても、人を褒めることはよいこと、人を蔑んだり、貶めたり、
悪口をいったりすることは悪いこと、というのは全世界共通のことなのです。
あるいは人を殴ったり、蹴とばしたり、傷つけたりすることは悪いこと。
人を殺すことは悪いこと。困っている人を助けることはよいこと。
こういうことははっきりと決まっていて、異論の余地はないのです。
こうした道徳律にまず照らしてみて、自分の行動というものをよく考えてみる必要があります。
行動が悪ければ心に問題があるのではないかと、次に辿っていくわけです。
行ないをみて、人の悪口ばかりをいっている自分であるならば、なぜ悪口が出るのであろうか。
この原因を追求して行けば、心のなかに、たとえば、人に対する嫉妬心がある。
自分自身に対する劣等感がある。
また人より優れたいという自惚れがあるこういう原因に突きあたるはずです。
この時に、はじめてそれを反省してゆかねばならないのです。
あるいは、耳でもそうですね。聞くということ、自分の悪口ばかりが聴こえてくるという人がいるわけです。
人が褒めてくれても、褒めてくれた事は小さく、悪口をいわれると大きく聞いてしまう人がいます。
こういう人も、やはり心に問題があるといえましょう。
褒めてくれた事はすぐ「いや、そんな事はないだろう」と。
あるいは、「あれはお世辞を言っているかもしれない。おべっかかもしれない」と信じない。
悪口をいわれると本気で信じる。悪くいわれると本気になって怒る。
こういう人もいますけれども、バランス感覚が悪い。
やはり、心のなかに問題があるわけです。
こういうふうに、外的に現われたる行動というものをひとつの基準にして、
心というものをもう一度浄化し、また探究して行く必要があるわけです。
さて、そういうふうに、心の段階というのは、その日一日、その人の心を占領しているその人の想い、
これに影響されているといいました。
そして、その想いをよくしてゆくためには、その人の行ないから見ていきなさい。自分の行ないをまず正す。
悪いことをしたら、それを反省してゆくこと。
こういうふうにすることが、心を浄化してゆくことになるということをいいました。
またそのための基準、これが必要です。
これが、ある意味では、釈迦の八正道であるともいえるでしょう。
実在界の心の段階がどういうふうになっているのか。
これを知ることが、すなわち、思いの基準でもありましょう。
category: 心の段階
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