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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 14  

ソクラテスの霊言128-183



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如来界、八次元世界の様相

<梵天界>で学びを終えると更に上の八次元、<如来界>に入っていく。

如来界においては、勿論人間としても十分に完成した人達であるし、また人扶けも十分にやって来た人達であり、
それ以上に神のお心を十分に知っている人達の集まりである。

この如来界には数百人の人間がいま生きている。私もその一人である。

この如来界の中には、いろんな神の光のリーダー、分派のリーダーとなっている人達が居る。

例えば哲学の世界においては、私とかソクラテス、そういう方々がこのリーダーをやって居り、
さまぎまな菩薩界、神界、或いは地上界の人達、哲学的な人達を指導している。

また、美術なら美術の専門家も居る。或いは医療なら医療の専門家も居る。

こういった専門家達のリーダーとなるような人達がこの如来界に居て、
主としてその動きをコントロールしているのである。

これは数百人の世界であり、彼らの形はさまぎまである。

けれども主として自分の傾向、もっとも強い傾向というものは、何らか一つは持っている。

宗教家なら宗教家の中で、"愛"の傾向を非常に持っている人とか、
或いは〝慈悲〟の傾向を持っている人、或いは尊敬の念という"敬"の念を非常に持っている人、
礼節を持っている人、知の世界、知力ですね、"知力"とか知恵を持っている人も居る。

こういった何らかの魂の強い面があるのが特徴である。




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 15  

ソクラテスの霊言128-183



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宇宙界、九次元世界の様相


<宇宙界>という九次元の世界がこの上に在る。

この九次元に入って行くと、もうすべてを収合したような世界であって、

これは私の範囲を越えてはいるけれども、ここにも、そうですね、
いま現在では数人、数人から十人を越えているかも知れません。

そういった宇宙界人が居ます。

けれども、ここで一つ言っておきたいことは、八次元と九次元の間というものは、
他の次元の間とはかなり変わっているということなので、

他の次元においては、下の次元の者は、上の者とは語り合えないことになっているが、
この八次元、九次元の間においては、或る意味において境界はあって無きが如しであります。

九次元の者は自由に八次元に来ているが、八次元の者も自由に九次元の者と話ができるようになっている。

この違いというものは、要するに役割の違いだけなのである。

九次元の人間は、宇宙界つまり、太陽系の大きな計画というようなものを司っている。

たとえば、司るために二階に上っているような人達なのである。

だから自由に下へ降りることも、上ることもできるのであるが、
住んでいる場所がただ違うというだけである。

八次元、九次元においては、ただこのように密接な世界となっている。




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 16  

ソクラテスの霊言128-183



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十次元以上の世界の様相

九次元以上の世界については、もはや私は語り尽くせないけれども、
地球に関する人達は非常に少なくなって来ている。

けれどもこの八次元、九次元、十次元というような世界においても、
人数、地球系霊団における人数は次第に減っては来ているが、

全宇宙における人数という意味においては決して減っては来ていない。

八次元世界には、この地球系の人は数百人しか居ないけれども、
全宇宙においては、さまざまな人がいっぱい居るのである。

九次元も然り、十次元以上もそうである。

であるから、本当の意味において、ピラミッド形になっているわけではなく、
高次元に行けば行くぼど、世界もまた広くなっているということである。

であるから、四次元、五次元は、地球という磁場で完結しており、
それで数億から数十億人の人が住んで居るのだけれども、八次元、九次元になってくると、
その世界自体が、この地球を越えており、さまざまな惑星をも含んでいる世界となっている。

であるから、そういった住人達との交流ということも盛んに行なわれている。

以上が大体、霊的な認識、霊的な認識の概観である。

善川 
   今のお話で、九次元世界までの人々の生活様態というものが大体明らかにされたと思います。
   ありがとうございました。




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 17  

ソクラテスの霊言128-183



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高次元界人の生活様態について

善川  現象界と、他次元界との関連については、私たちも今後いろいろと勉強しなければならないのですが、
    これはまたそれぞれの階の方々からニュアンスの異なったお話を伺うこととしまして、
    ただ今のお話では五次元、四次元等下次元の人々の生活様態というものは知らされたのですが、

    高次元界の方々の生活様態については未だ判然としないものがあるのですが。

カント では申しあげましょう。
    八次元、九次元の人々にとっての毎日は、非常に忙しいのです。
    例えばいまあなたが、書物の出版とか、その他のことで非常に忙しいけれども、
    八次元、九次元になると非常に忙しい生活になってくるのです。

    というのは、例えば、私は哲学者カントとして知られていますが、
    私を必要とする声は、地上世界において各所から起きており、
    またこちらの世界においても、私を必要とする声がいろんなところから来ているわけです。
    要するに、指導者として駈け巡っているというのが実状であります。

    その駈け巡っている間を縫って、われわれの世界のさまざまな人達と会って計画を練ったりしている、
    というのがわれわれの真実の日常です。

    イエス・キリストというような方は、ものすごく忙しい方であって、地上からは、毎日毎日呼ばれている。
    さまざまな念波は送られている。
    また霊世界においても、四次元、五次元、六次元、七次元と指導する方々は非常に多いのです。
    まあ或る意味においては、売れっ子の講演者、講演家のようなものだと思えばよい。

    ほとんど自分というものを捨てて、各所において指導されるということに専念されておられ、
    席の温まる暇もないといったところです。

善川  例えば、あなた方の世界においてはお住居というものはありますか。

カント 勿論それはあります。

善川  たとえば、それは想念で、ご自分が欲するような形態に設計し、作出したお住居としての環境でしょうか。

カント そうです。それぞれが好きなような住居に住んで居ります。
    私であれば、私は学者でありますから、やはり図書館のようなものが、
    ちゃんと付いているような家に住んでおります。
    そこには書物も沢山あります。この地上で出来た書物ははとんどあります。

善川  必要に応じて何でも読めるというような……。

カント そうです。そしてまた私は散歩が好きでありましたから、
    私の家の囲りは非常に景色のよい、散歩に適した所となっております。

善川  先般お出でになられた時にお話されておられましたが、
    時どきコーヒーを召し上がって寛いでおられるといっておられましたが、
    こういうことは、どういう状況でしょうか。

カント まあこれは、心のうるおいとして、ほしいと欲すればできるということです。

善川  ということは、地上界で飲んでいる時のような感じで飲んでおられるということですね。

カント そういうゆとりというものを味わっているのです。

善川  現実にコーヒーというものがあるわけではないのですね。

カント いや、現実にもある。
    ただ違いは、あなた方のように、水分を採らなけれは生きていけないというようなわけではないということだ。

善川  はあ、そうですか。それと睡眠については如何でしょうか。

カント 睡眠は特にとる必要はないが、長く考え続けた時など、休むために横になったりすることはあるし、
    勿論そういう意味でベッドはある。

善川  疲労というものはあるのでしょうか。

カント それはある。

    しかしあなた方が言うような意味での睡眠ではなくて、
    私達にとって、疲労を回復するものは何かというと、
    神の光、霊太陽、エネルギーの吸収ということである。

    即ち、われらが霊的に疲れた時には活動というものを止めて、一種の仮眠状態になるけれども、
    仮眠状態のような瞑想ですね、瞑想に入るわけです。

    瞑想に入って、霊太陽の光を受ける。霊流を受けるということです。
    こういったことによって、睡眠の代わりのエネルギーの補給をやっているのです。

善川  そちらの方では、時間の概念というものはどうなっているのでしょうか。

    まあ私達が認識出来るのは、地上の時間ですが、私達の一日は二十四時間になっておりますが、
    これはご承知の地球の一回転することをもって一日としておりますが、
    あなた方の世界での時間の概念というものは、どういう基準で測定されておられるのでしょう

カント 恐らく私達の一秒は、あなた方の一時間に当たるような時間であると思います。
    要するに、一人の人間が百人分、千人分、一万人分もの働きをしようと思うと、
    その時間の概念が違えば、出来るわけです。

    あなたが1時間かかって出来ることを、私が一秒でなしたなら、
    私はあなたの数十倍、数百倍の動きをすることができるということです。

    如来という人は、いろんな作用、私は前回語りましたけれども、さまざまな作用をしなければなりません。

    さまざまな働きを同時にしなければいけません。
    千手観音のように、千人分もの働きをしなければいけないということです。

    こういうこと、千人分もの働きをするためには、どうすればよいのかといえは、
    要するに、時間が違えばよいのです。

    あなたの一時間が、私の一秒であるならば、私はあなたよりは、
    はるかに多くの仕事をなすことができるということなのです。

    そういう意味で時間というものが非常に違っております。

    であるから私が忙しい時、つまりさまざまな仕事を抱えている時は、私の時間というものは、
    あなたの時間に較べて非常に短いものとなって居ります。

    要するに、私が忙しい時のあなたの一時間は、私の一秒となっているわけです。

    ところが私がくつろぎたい時、仕事が余りない時は、私の一時間は、
    或る意味ではあなたの二時間、三時間になっているかも知れないのです。




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