孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 1 
2021/07/18 Sun. 11:55

今回は孔子の霊言より、老子の言葉を紹介させていただきます。
地獄霊が天国に入れないのは何故なのか。
純白のスーツのたとえで解説されています。
どうかご一読よろしくお願いいたします。
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純白のスーツの譬え
老子 〝異人種″というのではなくて実はこういうことなのです。
あなた方は衣服を着ています。衣服を着て生きているうちに様々な汚れがつきますね、
醤油を落としたり、或いはいろいろなシミがついたりしますね、
こういったことも直ぐさま、洗剤で洗うと落ちますね。
ところがこれを永いこと置いておくとシミはシミとしてもうとれなくなりますね。
洗濯をしても、クリーニングをしても取れません。
地獄の悪魔達というのは実はこういう方々なんです。
シミができて永い間取らずにおいておくためにもう落ちなくなっているのです。
そういうことなんです。ですからそれを落とそうとすると大変なことになるんです。
むずかしいんです。ですからシミができる前に洗って置かなければいけないのです。
早く、早い時期によく洗っておかないとそうなってしまうということです。
善川 こういう人達は自分たちでもうー回やり直そうと、立ち直ろうと思っても不可能なのでしょうか。
老子 というか、或る意味では自分達が現代の立場を選んでいるのです。
天使の世界というのは、たとえていうならば、白い上っ張りです。
白い衣装、純粋無垢な純白の衣服を着て人々が集まっていると思って下さい。そうしたところです。
彼らもそういった純白のドレスを着ていたのです。純白の衣服を着ていたのです。
それをあるいは食事中にソースを落としたり、
醤油がかかったりしてそれで大きなシミをつくってしまったのです。
大きなしみをつくって、それをすぐさま洗い落としにいってもみ洗いしてクリーニソグに出して
それで落とした人は直ぐパーティに帰って来れたり、或いは二、三日したら、また出て来れるのですね。
ところがそういったしみができたにもかかわらず、まあいいや、これくらいのシミは、と思っているうちに、
また平気になって他のしみをまたつくってしまった。
まあこれもいいわと思っているうちに、だんだんそういったシミが増えてきて、
やがて服もズボンも真黒になってしまった。茶色くなってしまった。こういった情況ですね。
そうするとその人はまあいいや、まあいいやといっているけど、周囲の人が黙ってはいないです。
『どうしたのですかあなたその姿は、ここはパーティ会場ですよ、
皆素晴しい白ドレスで着飾っています。あなたは何ですか、そのシミだらけの衣服は。』
そう言われるわけですね。
すると本人は『いいじゃないかと、何が悪いのだ。』と、まあこういっているわけです。
何が悪いのだと最初は言っているけれどもだんだんに不調和な雰囲気ができてくるわけです。
周囲の人達は折角素晴しい音楽をかけて純白のドレスを着て踊りを楽しんだり会話を楽しんだりしているのに、
シミだらけの男が一人居るわけです。
これは困るわけです。皆様暴力は振わなけいけれども眉をしかめているわけです。
そのうちにその男もだんだん不調和な雰囲気を起こして居られなくなり、
そしてそのパーティ会場から出ていってしまったというわけです。
ところがそれは早いうちにシミを落としとけばいいんだけれども、もう落ちなくなっている。
ですからその男は、どうするかというと、もうパーティ会場には帰って来なくなるわけです。
そういったことなんです、実際は。
ですから人間はそういうシミをつくる前に、よく洗い落とすか、そういった処置をとらなければいけないんです。
或いはね、こういうことです。
その男は十分なお金が無い。お金が無いもんだから新しい衣服、
白のツーピースを今汚してしまったんですが、彼のお父様は非常なお金持ちなのです。
ですからお父様にお願いして新しいツーピースを新調して下さいと、
心からお願いしたら買ってくれるんです。
お父さまは非常な金持ちです。お金持ちですから買ってくれるんですけれども、
そういったひねくれた男ですから、自分はもうシミがついたままでもいい、
このままでいいと、開き直っているわけですね。
そういった状態なのですね。これが地獄に居るということなのです。
ですからお父様は非常なお金持ちです。お金持ちですから、心からお詫びして
「お父様から買って頂いたこの礼服を私は今汚してしまいました。どうも済みませんでした。
失礼いたしました。どうか、私は二度とこんな汚し方はいたしませんから、
今度汚した場合には直ぐ洗ってシミを落とします。そして迷惑かけないようにします。
パーティの皆様に迷惑をかけたのは申し訳なかった、もうこれからはこういうことはしませんから、
どうか新しい礼服を私に買って下さい。」
こうして心からお願いしたなら、お金持ちのお父様ですから、勿論ニコニコして
「おう、いいとも買って上げよう、新しい礼服をお前に買って上げよう。
これは今までにない素晴しい礼服だよ、こんな素晴らしい純白の真新しい服は誰も着ていないよ。」
こういって必ず与えて下さるのです。だから道はちゃんとあるのです。
そういったお願いをしなければいけないのです。
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孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 2 
2021/07/22 Thu. 20:45

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善川 まあしかし、それができるものと、できないものとがいるわけです。
出来る人はそこに反省期というものを、自分自身で十分時間をかけて、
そして本来の元居た自分の世界へと還ってくるのでしょうが、
そうでないものは、その反省もせず、現実の自分達の世界に居坐って、
類は類をもって集まるの法則に従い、彼らは徒党を組み、
さらに親分子分の関係をつくり、
そのボスの言う通りボスに従って行動しているというのが現状ですが、
そういう彼らに神は自由を与えられているということが問題ではなかろうかと思うのですが…
老子 しかし、少なくともパーティ会場には入って来れないのです。
その姿では入っては来れないのです。
しかしそのシミだらけの服でね、いろんな街を放浪しているんです。
しかし人にすぐ見つかってしまうのです。
あすこに汚い男が来るよと言われる。
それで、かまわないじゃないか、と最初は息巻いているのですが、
いろんな人に指差されるとだんだん居られなくなってまた次の町へ逃がれて行きますが、
そこでもまた同じようなことが繰り返されて次の町へと逃げていく。
こういうように彼らは安住するところのない可哀想な人達なのです。
それでもお父様にお願いしたくないと、反発しているのです。反抗心をもっているのです。
帰って来て、故郷に帰ってお父様にお願いすれば買って頂けるのです。
それをあくまでも自分の節を曲げないと、俺はシミをつくった、
しかしこれは悪かったとは思わない、そういう我意、我執です。
自分の節に固執しているこうした姿なのです。
だからあなたは自由を許すというけれども、彼ら自身そんなに楽しければいいですよ、
楽しければあなたの言うとおり自由ですよ、けれども彼らは楽しくはありません。
彼らの大部分は苦しいといっています。辛いといっています。
それでも時折乱暴しているわけです。暴れているんです。
けれどもいま言った喩と一緒で、一つの村から村へ、町から町へ動く時に、
やはり人々からいろいろ指を差されてですね、厭な感じを受けてまた居られなくなるとよそへ行く、
こういうことなのです。
ただね、仲間が居るのです。似たようなのが居るわけです。
穢い男がね、乞食や浮浪者のようなのが居る。
こういった者とは話ができる。浮浪者がね、もの凄い身なりをして居るわけです。ある町にはね。
それを見ると男は胸を張って言うわけです。
「俺を見ろ! 今はこれ汚れているけれども俺のスーツは純白だったんだ」
こういって浮浪者相手に威張っているわけです。
ですから浮浪者の方は浮浪者の方で「ああこの人は今汚れているけれども、元着ていた服は、いい服みたいだ、
キットいいとこの若旦那に違いない。或いはいいとこの坊っちゃんに違いない。」
と、こういったことで敬まったりするわけですね。
これが地獄の親分子分の関係の姿です。
しかし誰もそういうふうになりたいとは思わないでしょう。
何がよくて、何がよくないかということは、
人々がそういうふうに憧れるかどうかということで決まると思うのです。
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孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 3 
2021/07/23 Fri. 00:40

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善川 まあその程度で済めばいいのですけれども、
彼らはさらに味方を増やそうとしてこの三次元に生活している者に憑依したり、
彼らを誘惑したりして味方に引ずり込もうとそういう態度で餌物を狙っていますが。
老子 まあそれはね、こういうことなんですよ。
彼らはパーティ会場に入ってくることはできないのです。
しかし、小窓が開いているんですね、パーティ会場には、
そうすると、立食パーティをやっているわけです。
食べているうちにまた、なかの誰かが純白のスーツ、純白のドレスを汚すことがあるんですね。
あ、汚しちゃったなと、その人は思います。
洗いに走ろうかなと思っているのですね、その時に窓から顔を出してですね、
「おいおいお姉さん。僕も、それ汚したけど気にしなくてもいいよ」
「そのままでいいじゃないか、またどうせ汚れるんだからいいじゃないか」と、
こうやって誘惑の声かけているんですね。
言われてみるとそうかなと思ってね、またそのシミのままで、
またその立食パーティを続けている。
そのうちまたシミが付いちゃうと、また来るわけですね、
「いいじゃないか、いいじゃないか」と
すると、だんだんそのシミが拡がって、先ほど言ったのと同じことになるわけですね、
だから彼らは誰かに小窓から、誘惑の囁きの声を送っています。
けれどもそれを聴くかどうかはね、その人自身の自由なのです。
彼らも強制的にどうこうすることはできないんです。
もし地獄霊達が強制的にこの世の人間を狂わすことができるなら、
この世の人間はほとんど狂っています。
もう既に狂っております。けれどもそうではありません。
それは心に開いた小窓だけを通して彼らが話しかけることができるからです。
その窓が大きくなっていると、勿論力ずくで浚うこともできるわけです。
で、その小窓とは一体何であるか、
それがあなた方がよく知っている、同類相通ずるの法則なのです。
彼らと通じている部分がどれだけあるかですね、最初は少さな小窓なんです。声が聴こえるだけです。
それがだんだん開いてくるわけです。
やがて自由に出入りできるような大きなドアになってくるわけです。
ここまでくると、さあどちらが悪いとも言えない面があるわけです。
どちらもどちらという意見もあります。そういうことなんです。
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category: 純白のスーツのたとえ
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