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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

モーゼ霊訓集 -転生輪廻-  

モーゼ霊訓集


少し時間があいてしまいました。

今回は転生輪廻について、改めてご紹介させて頂きたいと思います。

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魂は永遠であり、転生輪廻していることをまず伝える

魂が永遠であるということ、転生輪廻していること、肉体生命に執着するのはおかしいということ。
それがわかっただけで、人間は数々の不幸や苦しみから逃れられる。

愛する者と死別することで、悲しみを、苦しみを抱えて動けない者がいる。

しかし、魂が永遠であると知れば、今生、引き離され、死別しても、
来世においてまた出会えるという、希望が見えるのである。

悲しみや苦しみをいたずらに抱え込まなくてよい。

本来が魂であると、肉体ではないということがわかれば、もっと有意義に地上の人生が使えるのである。

いらぬ欲望のためにお金を蓄えて、貯金口座のゼロが増えることに、
人生の大事なエネルギーを使い果たしてしまう者たちがいる。

名誉欲とか、権力欲、学歴信仰、それが少しも本人の糧にならず、
社会にも、神の子としての修行にも少しのメリットにならないにもかかわらず、
夢中になって、エネルギーと時間を浪費してしまう者たちもいる。

だからこそ、まず、魂が永遠であり、転生輪廻していること、
この地上での緑は、すべて自分が計画したものだということ。

それが不幸のように思われるけれども、そこを通して、自らの過去世のカルマの刈り取りがあり、
自らが人生の中で気づかなければいけないテーマに気づく、その環境をつくるがために、
自分を磨くための石とするために、数々の病や、不幸な環境が訪れる。

自分がやった不摂生や、自分がおこなった過ち、その結果として行われることもあるが、
それを通して魂を磨き、輝かせ、自らの魂を成長させることでこそ、三次元に生まれた、生きた意味がある。

たかだか人生生きて数十年、かつて五十年と言われたものが、八十年になったとして、いかがだろうか。

何万年と生きている、何億年と生きている我々から見たら、そんなものは一点にもならぬ記憶である。

地上に降りた経験から、どの魂も成長してきている。
なかには大飛躍を遂げている者もいるのである。

だから、地上に出たということが、大事な、自分の魂の、成長の場を与えられたのだとおもい、
たかだか、与えられた五十年、六十年、じき八十年か、小さい頃はあまり修行はできないから、

正味人間がやれるのは、二十歳から六十歳くらいまでの四十年くらいの期間ではないかと思う。

その四十年の期間で、最大限に何ができるか、どこまで成長できるか、
どれだけの貢献で他者を幸せにし、神の子を幸せにするために、自分のエネルギーを使うことができたか。

そのことを人びとにわからせるには、魂が永遠であり、
転生する幾多のチャンスが人類に与えられているということを教える必要がある。

だから、生き通しの人生の中において、今という一点に何をしなくてはいけないかという、
根本的な価値の転換が行われるのである。

そこをしっかりと言うこと。
魂の永遠性、リ・インカーネーションと呼ばれている、転生輪廻が、
西洋では欠けてしまっているゆえに、その観点が持てていない。

魂が永遠であり、転生輪廻をしているということ、そこをしっかりと、人びとに伝えるのだ。


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category: 転生輪廻

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大天使ミカエルの降臨1 -反省による魂の軌道修正- 1  

大天使ミカエルの降臨1



反省という事がいかに大切なことなのか、
今回はそれを紹介させていただこうと思います。

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反省による魂の軌道修正

いずれの世界に行くにしても、すべて新たな世界に通じるための鍵を握っているのは、
みなさま方の心のありようひとつなのです。

自分が死後、どのような世界に行くかということは、
自分の心というものを善意なる第三者の立場で見つめてみれば、明らかにわかることなのです。

本書の読者がそれを知りたいと思うならば、みずからが神であるとして、
あなたの心に思ってきたこと、あなたが行なってきたことをつぶさに点検した時に、
そこに見る自分の姿を善と思うか、悪と思うかということです。

この善と思うか、悪と思うかということがわからないのであるならば、次のたとえで話をしましょう。

すなわち、あなたが神だとして、自分自身をまったく別な立場から眺めた時に、
その自分の思いと行ないを映写機のごとく映されたとして、
他の人びとに見られても心底恥ずかしくない人生であるか、

それとも人に見られたくないところがたくさんあるかどうかということです。

無修正で、その人生のドラマを人に見せられる方はりっぱです。

また、人生のあちこちで、さまざまなまちがいを起こしてはいるけれども、
そうしたさまざまなまちがいについて、そのつど反省をし、みずから涙を流している人の姿は、
それ自体がひとつのドラマであり、多くの人びとの感動を呼ぶことになるでしょう。

このように、みずからの心のフィルムをビデオテープのごとくスクリーンに映していった時に、
人に見られても困らない自分とは、誤りに接しては反省をし、涙する自分であるということなのです。

その誤りを誤りと認めず、みずからのまちがいをまちがいと認めず、我強く、押し強く、
どこまでも自分流の生き方にこだわっている人は、どこかで大きな衝撃を受けることになります。

地上で受けない場合は、あの世に来てから受けることになるのです。

そのような人生を、自分だけが知っていると思っていたところが、
多くの人びとに見られて深く深く悔いてゆくことになるわけなのです。




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大天使ミカエルの降臨1 -反省による魂の軌道修正- 2  

大天使ミカエルの降臨1


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しかしながら、ここに「反省」という観点について、
もうひとつ私たちの世界からの注意をしておく必要があると思うのです。

地上を去った後に反省するということも、もちろん可能ではありましょう。
なれど、地上における反省と、地上を去った世界における反省とでは、その意味が違うということなのです。

それは、地上に生きていて肉体意識のなかにありながら、みずからの過ちに気づき反省ができたという人は、
それだけ早く魂の軌道修正ができたのであり、早く立ち直ることができるのです。

すなわち、借金を持たずに他界してくることになるわけです。

ところが、地上時代に反省をなさずに、他界して後まとめて反省しようとしたとしても、
この借金は、悪を犯した時よりローンが始まり、その金利がかさんでいくことになっているのです。

反省せぬまま、十年、二十年の月日を重ねた人の場合には、
その借金の額は二倍にも、三倍にも膨らんでいることがままあるのです。

地上において借金をして、その額がかさめば返していけなくなるように、

地上にいた時にすぐにその負債を払っておくならばかんたんであったものも、
それを来世に持ち込んだ場合には、その利子がかさんで雪ダルマ式となり、
とうてい短い年月の間では返せぬような大きな負債となっていることもあるということなのです。

したがって、過ちに対して即座に反省できることは幸いであるかなと、そのように言えるのです。

そして、他界して後、大きな反省の材料を抱えている人は、これは残念なことでもあるのです。

そうかんたんにはこの借財は返せないのです。

そして、なお悪いことには、生きている時には、借金は働いて返すという方法があったわけですが、

すなわちまちがったことをしたとしても、善行を積むことによって、
生前のうちにその負債を消していくということが可能であったけれども、

他界した後であれば、借金は借金として残りながら、
働きながら返すということができなくなってくるからなのです。

ではなにゆえに、働きながら返すということができなくなってくるのでしょうか。

それは、死後、霊はそれぞれの魂に応じたところに落ち着いており、
他の霊との交渉がなくなってゆくからなのです。

すなわち、本来自分が生きていた時に、まちがいについては謝り、
そして訂正をするべき相手の人間たちが、この地獄の世界においてはもはや住んでいないということなのです。

その世界においては、声を出しても聞こえず、叫んでもだれにも気づかれないという、そうした世界であるのです。

そのような深い深い沼であり、深い深い闇であり、深い深い谷であるのです。

そこから反省の言葉を出しても、地上の人には届かないのです。
天国に行った人にも届かないのです。

他の谷にいる人にも届かないのです。そのような事態が現出しているのです。

これゆえに、私は言うのです。反省ということは、一つの慈悲であると。

神仏の慈悲であると

人間はまちがいを犯すことはある。人間は失敗をすることはある。

しかし、まちがいに際し、失敗に際し、即座にみずからの心のあり方を修正し、
まちがっていた場合には相手に詫び、

そして、自分自身は未来に向けて、軌道修正をしてゆくことだと思います。
それがだいじではないでしょうか。


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