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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 1  

スウェーデンボルグ霊示集128-184



前回では、天国と地獄がいったいどのような所かを、
感覚的にではありますが、感じ取っていただけたと思います。

ユーモアをまじえた、私たちの立場に立った非常にわかりやすい説明であったと思います。

私たちが幸せになるために、むずかしい事はいらないのだと思います。
日々の思いと行いを正しくし、自らの心をふりかえりながら生きてゆく中に、私たちのしあわせがあるのだ。
天国と地獄は、現在私たちが生きている実生活の延長線上にあるのだ。

そうした事であったと思います。

さて、今回はスウェーデンボルグ霊示集から、
"私の見た地獄界"という章を紹介させていただこうと思います。

前回と打って変わってシリアスな趣ではありますが、
地獄の最深部の描写は、みなさまにも関心があることと思います。

では、以下に本文を紹介させていただきます。


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地獄の最深部

エマニュエル・スウェーデンボルグです。
私は本章で霊界の様子をできるだけ克明にお話ししたいものだと考えています。

そこで、本日は「私の見た地獄界」ということで、
地獄の様子と、こちらに来てから見聞したことを中心に話しておきたいと思います。

さて、地獄といっても俗に知られているとおり、ひじょうに広大無辺です。
その広がりとその深さが、いったいどの程度あるのかはわかりません。

というのも、この地獄界も、実は相当永い年月かかってできてきたものだからです。

おそらく数百万年、数千万年、それ以上の年月をかけて地獄に住んできた多くの霊たちの想念によって、
できあがってきたものだからです。

それはまったく夢・幻のごときものかと言われれば、かならずしもそうでもないということになりましょう。

実際にその世界に住んでいる者からいえば、地獄というものはまさしく実在のごとく感じられるものです。
この世界以外の世界に行くことができないでいるのです。

さあ、話の切り口をいったいどこから開始したらよいものやら、私もまったく戸惑ってしまいます。

しかし、なんらかの順を追って、この地獄の様子をお話ししないわけにはいかないでしょう。
たいていの場合は、地獄の上層部からいくのでしょうが、私は最深部がどのようになっているか、
という点から話を始めてゆきたいと思います。

まず、いちばん底のほうにはいったい何があるか、
どのような世界があって、どのような人たちが住んでいるのか、これが多くの人たちの疑問でしょう。

いちばん底にあるのは明らかに、これはもうサタンの巣窟といわれるようなところです。

それはそれは大勢のサタンがおります。もちろん暴力団だとか、マフィアだとか、
そうしたものも組織を持っているくらいですから、永い年月地獄をつくってきた彼らであるならば、
それだけの配下をもっております。

この中心人物はルシフェルという名で呼ばれておりますが、
この配下にはそれぞれの大きな魔王がいて、世界各国で支部長でもありませんが、
ボスを置いて各国を治めさせています。




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スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 2  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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その意味でひじょうに国際的なネットワークを誇っております。そういう支配体制を組んでおります。
そしてそれぞれのボスがまた、手下を持っているという形になりましょうか。

その数は私も定かにはわかりかねますが、
おそらく数万という数ではきかないぐらいの数がいるのではないかと思います。

数十万、そのぐらいの数のサタンたちがいるのではないでしょうか。
あるいは、もっと小さな手下たちまでいれると、数はさらに増えてゆくでしょう。

これらは、もはや地獄に住んでいることを、ひじょうに誇りといっては問題になりましょうが、
開き直りに近い感じで意図的に棲息している霊たちであるといってもよいでしょう。

その地上時代の生活がいったい何であったかは各人各様で、そう簡単にはわかりませんが、
ただ、地上時代、多くの者たちはなんらかの力を持っている立場にあった、そういうことがいえると思います。

サタンの発生の原因となった職業を見てみると、
おそらく宗教関係から出ている人が七割くらいはいるものと思われます。

これはまちがった宗教指導をやって地獄に堕ちている人たちです。
これ以外には政治家をやった人、軍人をやった人、こういう人が相次いで来ているように思います。

なんらかの影響力を持っていた、そうした人が過去の姿として見うけられます。

ただ、通常の地獄霊であれば過去世の姿をそのままでとっておりますが、
こうしたサタンたちになると、もう過去世の姿というものは見えません。

そうではなくて、まったく変化した姿になっております。

こうした者が増えるのは、いつも新たな宗教戦争や宗教改革が起きたときとか、
あるいは革命などが起きたときであり、こうしたときに大量のサタンが供給されるようになります。

それは、生きている人のところへ行って、彼らを惑わし、
地獄にひき連れて来るということが多いのです。

そうした形で自己増殖をしているように思います。




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スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 3  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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さて、私はこうしたサタンたちの状態、形状についても話をしておかねばならないだろうと思います。

もちろん各国に応じてその姿はちがっているようです。

たとえば、ヨーロッパ系統のサタンであれば、それは昔からの有名なスタイルをしています。
いわゆる洋風の化け物の姿ですね。背中にはコウモリのように羽がついていることが多いです。

身体は一種の爬虫類のようでもあります。暗黒色をし、あるいは青味がかった姿で、
手の爪・足の爪などは、ちょうど何かの鳥か、あるいは爬虫類のようなものです。
                                   
身体にウロコが生えている者もおります。
口からは大きな牙が出、目は赤色に燃えていたり、いろんな色に染まっています。

耳はたいていの場合とんがっており、なかには角が生えている者もおります。
そうした姿を考えていただければけっこうです。

ただ、それは、攻撃的スタイルにおいてですが、
通常時はいちおう人間の雰囲気を漂わせた衣服に身を包む場合もあります。
そのへんは変幻自在であります。

どういうところに住んでいるかというと、ヨーロッパ系統のサタンたちは、
やはりお城のようなものを根城にしていることが多いです。

地獄の底にお城を築き、そのなかに住んでいて、そして窓からコウモリよろしく羽ばたいて出てゆく。
そういうかたちをとっていることが多いように思います。

中国などへ来ると、その姿はまたちがったものとなっています。
妖怪風ではありますが、多少東洋風の感じになってきて、懐かしい鬼の姿もあちこちで見うけられます。

鬼の源流は東洋のほうにあるようで、いわゆる鬼という姿、これに近いものがあちこちで見うけられます。
もうひとつは怪奇な様相をした仙人の姿のものです。

さて、では、日本ではどうかということですが、
日本では、もちろん外国から来ている悪魔もおりますから、それについてはさまざまな姿をしていますが、
生粋の日本の悪魔、サタンといわれるものは、だいたい二、三種類です。

ひとつは、やはり宗教家の悪魔であって、これは僧侶の姿をしていることが多いです。
ただ、形相はたいへんな形相をしていることはいうまでもありません。

もう一種類は、やはり武士が多いのは事実です。過去戦乱期を生きてきて、
そして悪魔になった武士がだいぶおります。

こうした者たちが、戦乱期になると人の心を駆り立てて、戦に戦にと追い立てるわけです。

三種類目は、やはり貴族であるとか、あるいは武家階級もいますが、
政治家をやっている者たち、この三種類が中心であります。

ですから日本ではそれなりの日本的姿をとっていると一般的にいえますし、
死んだときの様相に近い格好をしていることも多いといえましょう。




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スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 4  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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宗教地獄の様相

さて、最深部ではそうした者がいるわけですが、この最深部にいる者たちは出撃をくり返しております。

地獄の各層に飛び回って、あちこちでいろんな事業を展開しております。

各世界に手下を持っていて、その手下によって教育をしている。
自分たちの考えるようなことをやらせているということです。

そして、その手下を使ってやる地獄霊教育の最たるものは、
とにかく人間の欲心というものを増大させる方向で動いている。これが事実であります。

その欲心のなかの最たるものは、名誉欲、闘争欲、あるいは金銭欲、性欲、こうしたいわゆる執着といわれるもの、
この類の欲ですが、これを自分のもの、自分だけのものにせんとする、そうした方向に彼らを指導しています。

けれどもサタンにはサタンの理論武装があって、この理論武装をどのようにいうかというと、
「自由意志」という言葉でよく語っています。

あるいは「お前たちは自由なのだ。」という言葉で彼らはよく語っています。

ですから、地獄霊たちを手なずける際に、宗教家のサタンであれば、
宗教家のサタンとして説法をするわけですが、その際に、

「よく聴きなさい。お前たちは、自由なのだ。まったく自由なのだ。
神が創られた国であるから、そしてあなたがたは神の子であるから、何をしようとも自由なのだ。
きみたちが求めているものは何でも与えられるであろう。
さあ、なにが欲しい。欲しいものを叶えさせてやろう。」

こういうことをいつもいっております。




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スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 5  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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そういう教えにふれた他の地獄霊たちは、その人の姿を見て、「これこそ光の天使だ」と思うようです。

「光の天使だ。なぜならば彼は私たちを愛しているからだ。私たちが自由にやろうとしていること、
それはすべて叶えてくださるとおっしゃる。そして、心のままに、自由気ままに生きてゆけばよい、
自分の個性をのびのびと伸ばして、やりたいようにやったらよい、こういうふうに教えてくれるのだから、
まさしくこれは救世の教えである。」 このように感じるようであります。

こうして数多くの地獄霊たちが、精神的に洗脳されてゆくようになります。支配されるのです。
その理論に支配されてゆくようになってゆきます。

あるいは、そのサタンたちのなかでは、巧妙な者たちもいて、自分の姿を変えることになります。
過去の有名な人の姿に身体を変えたり、なかにはイエス・キリストのまねをする者までおります。

西洋のほうの牧師であって地獄に堕ちた者たちは、イエス・キリストのようになりたい、
という気持ちが強かったものですから、みずからの姿を変身させることができることをいいことに、
地獄のイエス・キリストをやっております。そういう者もおります。

「私はイエス・キリストで、天上界からいま、諸君らを救いに来たのだ」。ということから説法を始めて、
いろんなことを諄々と語り、その間に聖書から得られた知識をさかんに織り込んでいるので、
単純な地獄霊たちは手もなくそれにのせられて、彼をイエス・キリストだと信じ始めるようになります。

そして彼の扇動にのっていろんなことを始めるようになります。

まず、この扇動にのりはじめると、「迷える人たちを救え」というような教えが始まります。
そして、迷える人たちとは何かというと、地上に生きている人たちです。

「彼らはひじょうに可哀想な人たちである。ほんとうの世界のことを知らないのである。
だから彼らを守護してやらねばならない。」 

こういう言葉を聞いて、そして、守護霊になったつもりでこうした者が
地獄から這い上がって、生きている者に取り憑いてくることになります。

この、にせイエス・キリストはさらにいいます。
「人間の真実の愛とは、相手の欲するものを与えることである。

だから、自分たちが守っている者が欲するものを、なんなりと与える方向で指導してやれ。」 
このようにいうのです。





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スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 6  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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そうすると、その憑依された者が、異性の虜になっていればますます異性の虜となってゆく方向に指導し、
お金の虜となれば、ますますその虜となってゆく方向に指導し、

名誉心の虜となれば、その方向に指導し、勢力欲・拡張欲の虜になっている者にはますますその虜とする、
そのようなかたちでいろいろと狂わしてゆきます。

また、宗教家などにとりいれば、その宗教家がひじょうに名誉心や自己顕示欲が強いと、
この部分に攻め込んでゆきます。

そして甘い言葉で彼らの心をくすぐり、満足させる方向でやってゆくようになってゆきます。
こうしたものなのです。

これは一見ひじょうに巧妙で、地獄霊たちも自分たちは本当によいことをしている、と錯覚していることが多いのです。
生きている人たちを導いているつもりでやっていることがあります。

こういう地獄宗教というものも、現にあるのです。

そしてこうしたものが大量に入り込むと、地上にある新興宗教などは混乱を起こしてゆくようになります。
集団的にそうした悪霊の巣窟になってゆくことが、多いといえましょう。

こういう意味において私たちは、ひじょうに思想というものは怖いものだ、恐ろしいものだということを感じます。
ほんの紙一重のところでちがってゆくのです。

ただ、言えることはこの悪魔たちがそそのかすものには、いつもひとつの傾向性があるということです。

それは本人の欲得に訴えかけるということなのです。かならずそうです。本人の欲得に訴えかけてゆきます。

ですから、彼らがいちばん苦手としている人は、欲得のない人、利己主義者でない人、
謙虚な人、いつも反省をしている人、いつも神に祈っている人、
こうした者がいちばん苦手で、取り憑きにくいのです。

とくに祈りなどにおいても、自分の利益のための祈りをやっている者は割合とり入りやすいのですが、
神に感謝の祈りをいつも捧げているような人はなかなか近寄ることができません。

また、謙虚に生きている人、反省で生きている人、こんな方にも近寄れません。
ちょうどその人のまわりには、淡いオーラのようなものが出ていてそれ以上近寄れなくなってくるのです。

近づいてもどうもいづらくなる、こういうふうになってゆきます。




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