高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 3 
2019/06/26 Wed. 23:56

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けれど本当の世界は、この一念三千の世界であってね。
そして、人間がいま二十歳、三十歳、四十歳、いろんな段階で生活してますが、
心の中の像というものは、これ想念帯の中に、みんな蓄えられているんですね。
蓄積している。そして、この蓄積されたフイルムがあの世にいって、ようするに放映されるようなものなんですね。
すなわち、あの世の世界、どういう世界に行くかということは、
この地上で生きている間に自分が念ったこと、あるいは念いを具体化した、行なったこと、
こうしたものの念のフィルムですね、これがそのままあの世で、その人の生活を映しだすものとなるんですね。
結局この世での生き方が、あの世でのすべてになってくるんです。
だから、この世とあの世というのは切り離したものじゃなくて、延長なんですね。
この世の中で生きておって、思っているような世界が、あの世で展開するんですね。
人間はね、まあ、行動については、ある程度人による規制っていうかね、
チェックはあるけれど、念いについてはあんまり言われない。
たとえば、「おまえ腹黒いことを思ってるだろう」なんてことを、本当は言われてもいいようなことでも、
顔がニコニコしてればわからない。そういうことがありますね。
ところが、あの世ではそれがそのまま出てくる。まあ、こういう世界なんですね。
ただ、その自分の心の念いが今どこにあるかということを、自己認識できる人は非常に少ない。
わからないんですね、たいていの人は。わからないです。全然わからないです。
だからそれができる唯一の機会っていうのは、正師、正しい師ですね、これがおって、
その人の心の状態を言い当ててね、悟りへの指導をするような場合だけ。
このときだけ、わかるんだね。これ以外のときは、わからないですよ、ね。
だから、こういう霊言集だしてね、これが「本物だ、にせ物だ」なんて、いろいろまあ議論もあろうが、
裁判官だって絶対わかりませんよ。わからないです。
彼らには、要するに日本の六法読んだって、あの霊言が本物かにせ物かなんて基準どこにも入ってない。全然わからない。
で、裁判官は、自分の良心に基づいて判断するっていうけど、その良心がわからない、ね、裁判所は。
裁判官の良心て、霊的良心はわからないですね。これわからないです。
裁判官の中なんかでも、まあクリスチャンもいれば、もちろん仏教者もいたり、いろいろいるけどね、
彼らのその、霊的目覚めの段階はわかりませんね。
そうすると、彼らでも人の心のありようというのは、ほんと、わからないんですね。
だから裁判所の法廷で、犯罪人を前にしてね、いろいろと心証っていいますね、心の証、心証を得るっていいますね。
「これは有罪だな、無罪だな」っていう、心証というのがありますが、これも霊的直観で、もちろん判断しているけれど、
これがいま、各人に任されちゃってますね。
裁判官ていうのは、司法試験受かってね、司法研修所で法律の勉強して、そして判決文書けるようになって、
それで判事補になってね、実務研修受けて、そして裁判官になっていきますが、
彼らは、そういう法律の運用、適用についての訓練は受けておるけれども、
人間の心を観るという面での修行は足りないんですね。
これはできてない。
category: 天国と地獄
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