高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 2 
2019/06/25 Tue. 22:26

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そういうふうに、たとえば、あの世ではこういうふうに着物だとか、
そんなのなくてもね、着物を念えば着物が出てくるとか、
高橋信次大先生は、やはりひじ掛け椅子がいいと念うと、ひじ掛け椅子に座っておってですね、
頭に王冠かぶっている方が気持ちがいいんじゃないかと念うと、王冠が頭の上にくっついているわけですね。
これは決して、あの世の細工師に頼んで作ったもんじゃないけれども、なんとなく自分には王冠がふさわしいと念うと、
このダイヤやエメラルドやルビーが散らばったような王冠をね、頭の上にのせて、
そしてひじ掛けの玉座にのっかって、人びとに教えを垂れてるわけなんですね。
まあ、こういうふうに、念いの段階がそのまま出てくるんですね。
そしてこれは、自分もごまかせないし、他人もごまかせないんですね。
そういう世界が実相の世界、本当の世界なんです。
ところが、地上ではそうじゃない。
まあ、大金持ちになったら、いい仕立て屋さんに頼むから、そらいい服着るし、
政治家は政治家みたいな服着るし、家に住んでるし、まあそんな顔してるけど、心の中はいろいろですね。
前にも話しましたが、総理大臣でもいいとこ行ってる人もあれば、悪いとこ行ってる人もある。
これぐらいわからないんですね。ところが、この世で生活していると、
みんな同じぐらいの権力者のように見えるんですね。そういうことがある。
宗教家も極端ですね。上はもう如来、菩薩から、下は地獄の最深奥まで行くぐらい違いがある。
けれどその心の中の念いというのは、必ずしも外に現われない、わからない。
霊の声を伝えているというだけでもう、救世主みたいに思っている人はいっぱいいる。
ところがその中の大部分が、悪霊、地獄霊であるということがある。これほどわかりにくいんですね。
ところが、心の念いがそのまま現象化して現われると、これはわかりますね。
あの世であれば、悪い波動持った人がいくら言ったって、体が悪魔の姿とっていれば、そのままわかりますね。
ところがこの世では、そういう悪い念いでおる人であっても、それは自分が悪いことを念っているとはわからない。
そして、法衣っていいますかね、袈裟衣着たりね、あるいは修道服着たり、
牧師さんの格好したりすると立派に見えるんでね、わかんないですね。
まあ、そういうことがあります。
category: 天国と地獄
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