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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 1  

高橋信次の天国と地獄128-184



前回では、反省の大切さについてお話させていただきました。
反省によって、日々思いと行いを正していく事の大切さを感じていただけたと思います。

今回も、高橋信次氏の霊示から、天国と地獄についての説明を紹介させていただこうと思います。

天国と地獄がどのような世界なのか、目に見えるかたちで説明する事は出来ませんが、
本書を読んでいただければ、その一端なりを感じ取ることは出来ると思います。

同氏の特徴であるユーモアを含んだ分かりやすい解説は他書と同じです。

今回は、地獄の最下層から始まって、地獄を抜け出し天国の上層にいたるまでの過程を
実際に体験していく感じで、読んでいただけたらと思います。

では、以下にその本文を紹介させていただきます。
少し長くなるかもしれませんが、どうか最後までお読みいただけますよう、お願いいたします。


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一念三千

まあ、一念三千ということで、私もずいぶん生前から、著書の中に書いたり、講演の中でもずいぶんやりました。

天台大師の教えですね。その中のいちばん大事な考え方で、一念というのは、もちろん念いの念ですね。

人間の心の念いというのは三千、これは三千世界と言いましてね、割り切れないほど多いっていう意味なんですね。
そういう人間の念の向かっていく方向というのは、もう三千世界につながっておると、まあ、こういう意味なんですね。

ところがねえ、地上にいる人間というのは、なかなかこの一念三千の意味がわからないんですよ。本当の意味がね。

結構難しいんだ。みんなね、念いにそういう方向性があったり、創造性っていう、創り出す力があったり、
あるいは、念いにプラスとマイナスのエネルギー波があるなんてことは、なかなかわからないんですね。

これが生きている人間にとっては、不可解なんですね。
で、自分の心の中というのは、シャッター降ろしたようなもんでね、誰にもわからない。こういうふうに思ってるんですね。

だから、「あの野郎言いやがったな」なんて念いながら、「でも、おれにしかわからないだろう」なんて、
「しめしめ」と念って、歩いてるんですね。
                           
ところが、本当の心の世界というのはね、念ったことが、すべて視覚化、
ビジョン化してね、飛んだり射ねたりしとるんです。

こういう世界なんですよ。だからね、この地上の世界というのは、非常に珍しい体験を、今ふんでるんですね。
要するに、念ったことというのがストレートに出てこない世界なんですね。

これは魂にとっては非常に珍しい体験であり、重要な教訓でもあるんですね。

あの世の世界っていうのは、念ったことが、ストレートに実現する世界なんですね。

だから、天国、地獄というのが出てくる理由は、そこにあるんです。

地上は、どんなことを念っておっても、その念いが現実になって出てくるまで、時間の差がずいぶんあるし、
念いが現実になってくるまでの間に、他人の介在とか、時間のずれね、こうしたものがずいぶんあって、
なかなかその通りにいかない。

ところがあの世では、念った通りになりますね。これは皆さんも、すでに私の本を六冊目まで読むような方は、
もう十分知っておられることでしょう。



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高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 2  

高橋信次の天国と地獄128-184



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そういうふうに、たとえば、あの世ではこういうふうに着物だとか、
そんなのなくてもね、着物を念えば着物が出てくるとか、

高橋信次大先生は、やはりひじ掛け椅子がいいと念うと、ひじ掛け椅子に座っておってですね、
頭に王冠かぶっている方が気持ちがいいんじゃないかと念うと、王冠が頭の上にくっついているわけですね。

これは決して、あの世の細工師に頼んで作ったもんじゃないけれども、なんとなく自分には王冠がふさわしいと念うと、
このダイヤやエメラルドやルビーが散らばったような王冠をね、頭の上にのせて、
そしてひじ掛けの玉座にのっかって、人びとに教えを垂れてるわけなんですね。

まあ、こういうふうに、念いの段階がそのまま出てくるんですね。

そしてこれは、自分もごまかせないし、他人もごまかせないんですね。
そういう世界が実相の世界、本当の世界なんです。

ところが、地上ではそうじゃない。

まあ、大金持ちになったら、いい仕立て屋さんに頼むから、そらいい服着るし、
政治家は政治家みたいな服着るし、家に住んでるし、まあそんな顔してるけど、心の中はいろいろですね。

前にも話しましたが、総理大臣でもいいとこ行ってる人もあれば、悪いとこ行ってる人もある。

これぐらいわからないんですね。ところが、この世で生活していると、
みんな同じぐらいの権力者のように見えるんですね。そういうことがある。

宗教家も極端ですね。上はもう如来、菩薩から、下は地獄の最深奥まで行くぐらい違いがある。

けれどその心の中の念いというのは、必ずしも外に現われない、わからない。
霊の声を伝えているというだけでもう、救世主みたいに思っている人はいっぱいいる。

ところがその中の大部分が、悪霊、地獄霊であるということがある。これほどわかりにくいんですね。

ところが、心の念いがそのまま現象化して現われると、これはわかりますね。

あの世であれば、悪い波動持った人がいくら言ったって、体が悪魔の姿とっていれば、そのままわかりますね。

ところがこの世では、そういう悪い念いでおる人であっても、それは自分が悪いことを念っているとはわからない。

そして、法衣っていいますかね、袈裟衣着たりね、あるいは修道服着たり、
牧師さんの格好したりすると立派に見えるんでね、わかんないですね。

まあ、そういうことがあります。




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高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 3  

高橋信次の天国と地獄128-184



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けれど本当の世界は、この一念三千の世界であってね。

そして、人間がいま二十歳、三十歳、四十歳、いろんな段階で生活してますが、
心の中の像というものは、これ想念帯の中に、みんな蓄えられているんですね。

蓄積している。そして、この蓄積されたフイルムがあの世にいって、ようするに放映されるようなものなんですね。

すなわち、あの世の世界、どういう世界に行くかということは、
この地上で生きている間に自分が念ったこと、あるいは念いを具体化した、行なったこと、
こうしたものの念のフィルムですね、これがそのままあの世で、その人の生活を映しだすものとなるんですね。

結局この世での生き方が、あの世でのすべてになってくるんです。

だから、この世とあの世というのは切り離したものじゃなくて、延長なんですね。

この世の中で生きておって、思っているような世界が、あの世で展開するんですね。

人間はね、まあ、行動については、ある程度人による規制っていうかね、
チェックはあるけれど、念いについてはあんまり言われない。

たとえば、「おまえ腹黒いことを思ってるだろう」なんてことを、本当は言われてもいいようなことでも、
顔がニコニコしてればわからない。そういうことがありますね。

ところが、あの世ではそれがそのまま出てくる。まあ、こういう世界なんですね。

ただ、その自分の心の念いが今どこにあるかということを、自己認識できる人は非常に少ない。
わからないんですね、たいていの人は。わからないです。全然わからないです。

だからそれができる唯一の機会っていうのは、正師、正しい師ですね、これがおって、
その人の心の状態を言い当ててね、悟りへの指導をするような場合だけ。

このときだけ、わかるんだね。これ以外のときは、わからないですよ、ね。

だから、こういう霊言集だしてね、これが「本物だ、にせ物だ」なんて、いろいろまあ議論もあろうが、
裁判官だって絶対わかりませんよ。わからないです。

彼らには、要するに日本の六法読んだって、あの霊言が本物かにせ物かなんて基準どこにも入ってない。全然わからない。

で、裁判官は、自分の良心に基づいて判断するっていうけど、その良心がわからない、ね、裁判所は。
裁判官の良心て、霊的良心はわからないですね。これわからないです。

裁判官の中なんかでも、まあクリスチャンもいれば、もちろん仏教者もいたり、いろいろいるけどね、
彼らのその、霊的目覚めの段階はわかりませんね。

そうすると、彼らでも人の心のありようというのは、ほんと、わからないんですね。

だから裁判所の法廷で、犯罪人を前にしてね、いろいろと心証っていいますね、心の証、心証を得るっていいますね。

「これは有罪だな、無罪だな」っていう、心証というのがありますが、これも霊的直観で、もちろん判断しているけれど、
これがいま、各人に任されちゃってますね。

裁判官ていうのは、司法試験受かってね、司法研修所で法律の勉強して、そして判決文書けるようになって、
それで判事補になってね、実務研修受けて、そして裁判官になっていきますが、

彼らは、そういう法律の運用、適用についての訓練は受けておるけれども、
人間の心を観るという面での修行は足りないんですね。

これはできてない。



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高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 4  

高橋信次の天国と地獄128-184



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人間の心に段階があったり、あるいは、その善悪に基準があるっていうことは、わからないね。

だから、本当はね、ああいう裁判官、特に刑事裁判なんか、ああいうふうな人というのは、
この心の世界の秘密ね、神埋っていうのを勉強しておかなきゃだめなんです、ね。全然わかりませんよ。

その善悪墓準、これをはっきり知らないかんのですね。

そうしないと、自分も悪霊に憑かれて裁判してね、で、悪霊に憑かれた人判断したりなんかして、両方でやってるんですね。
こんなことになっちゃいますからバカみたいですよ。

内なる良心の囁き、なんていって、あんた、悪霊が憑いとって、裁判官にね、そして「有罪だ、有罪だ」って言って、
また悪霊に憑かれとる方も、それ聞いて「あっ、おれを有罪にしようとしているな。この野郎、あの世で殺してやる」
なんてね、思っている、両方でね。こんなことになっちゃいますから、非常に大事ですよ。

だからね、そういう人間の心の秘密の解決、探るということに関してはね、
本当にね、まだテキストがない。十分なテキストがない。

で、いくら、神理の本出しても出してもこれではきりはないんですね。

だから私どもも、霊言集っていうのは、これはもう本当、一冊でも多くね、世にださないと、人間たちが自分たちの心がね、
今どういう段階にあるのか、天国向いてるのか地獄むいてるのか、これ判断する基準がなんにもないんですよ。

この世で教えてくれないんですよ。学校でも、裁判所でも、どこでも教えてくれないんだ、ね。
正師がいるときしかないんだ。

だから今、あの世の正師達がこうやって指導しているわけで、ものの考え方と段階を教えているんだな。

まあこれはね、本当にできるだけ多くのケースワークって言いますかね、ケーススタディーって言いますか、
つくっておかないと、わからんのですね。

だから僕たちは、これは神聖な事業だと思っていますよ。

一つでも多くのね神理を語っておかないと、人びとは自分の心を照らしてみる力がない。

まあそういうことなんですね。

まあこういう意味で、一念三千て、心はいろんな方向へ向くけれど、
その念いのコントロールということが、とてもとても大事になるわけです。



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高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 5  

高橋信次の天国と地獄128-184



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地獄論

さて、いよいよ私の得意の地獄論に入ってきたわけですが、
まあ、そんなに地獄が得意かと言えば、そうでもないんですがね。

ただ、生前からやっぱり悪霊というのは、大好きっていうわけじゃございませんがね、
ずいぶん相手にしてきましたし、私は高級霊より悪霊を相手にするのが多かったんで、

もう悪霊編でね、悪霊専門家ということで、悪霊からずいぶん尊敬、尊敬はされなかったけれど、
まあ恐れられたりね、嫌われたり、おどされたり、結構しましたね。

やっぱり作用反作用がありましてね、こっちが光の天使だからといって、悪霊をあまりいじめていると、
向こうもね、嵩にかかってくるんですね。

こういうことがあって、本当はみなさんには、あんまり私は悪霊を相手にするのはお勧めしないんですがね、
まあいろんな霊があります。地獄論に関しては、本当は徹底的にまた一冊やらねばいかんなと思ってるんですがね、

あんまり出すとね、季節がらが悪いと、みんな本当、困っちゃいますから、
よく季節を見てね、選ばねばいかんなと、こういうふうに思っていますね。
                                  
まあ地獄っていうのは、いま言った一念三千ね、心の念いで悪いほう向いた人が行くとこです。
はっきり言って。これだけですよ。

生きてるときに自分の念いがいいか悪いか知らんけれども、死んだらはっきりするということですね。

だから一生、七十年なら七十年の一生をトータルしたら、悪い念いのほうが多かった人は、
結論的に地獄に行くっていうことです。はっきり言って。

悪い念いというのは、マイナスの念いですね。
プラスの念いの方が多い人は、天国へ行くということですね。

まあ一生涯でね、悪い念い一つも抱かなかった人というのは、それはいないと思います。無理です。

高橋信次でも悪い念いは、一回や二回や三回や、いやもっとあったかもしれないけれども、
いっぱいあったわけでありますから、ましてや他の高級霊にも、当然悪い念いはあったわけです、もっともっと悪い念いはあった。

だから、モーゼだってあった、ね。みなさんね。モーゼだってあなた、読んだらわかるけど、人だって殺してるんですよ。
何人か、人だって殺しているし、あなたねえ、けんかも売っとるしね、軍隊でずいぶん人殺しもしているし、
結婚、離婚もやってるし、悪いことしてるよ、いっぱいね。




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高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 6  

高橋信次の天国と地獄128-184



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僕から見りやあ、あんなことしたことない。
僕は人を殺したことないでしょ、ねえ。離婚はしなかったでしょう。

最後までがまんして、離婚はしなかったし、いろいろありますが、そういうふうにどんな聖者であっても、
この世的にはいろいろ問題がある。

お釈迦さんだって、そうでしょう。女房子供捨てちゃって、あんなのいいのか、あんなことして、ねえ。
お父ちゃん年寄って、跡を継いでくれというのに、ほったらかして出たんでしょう。

で、結局どうなったの、釈迦族滅ぼされたんでしょう。あんなかわいそうなことってありませんよ。

あれだけあなた、観自在力のある釈迦牟尼仏がね、あなた、釈迦族の跡継いだら、
そら戦争は勝てるしね、国威も上がったと思いますよ。
捨てちゃったでしょう、捨てて逃げたんでしょう。で、あと滅ぼされたんでしょう。

こんなの何の役にもたってないわね。見殺しっていうことですね、これ。
自分さえよけりやいい。まあ、ある意味では、自己保存とも言えないことないですよ、こんなのね。
ね、そういうことでしょう。

ただ、そういう自己保存かもしれないけれど、それよりもいいことをよくやったということでしょう。

その比較において、プラスの方がはるかに多かったんであって、普通ね、普通の人であなたね、妻子を捨ててね、
年とった両親捨ててね、そして、家出してね、あなた、乞食になったら、普通は地獄ですよ。

こんなのあなた、絶対天国行けませんよ。そういうことなんですよ。

だから、まあ、オール・オア・ナッシングでね、
完全に天国か地獄かっていうような心っていうことはあり得ませんが、そういう比較のバランスが大事なんですね。

昔から、エジプトの壁画かなんかにも書いてありますね。
オシリスって言うのか、善悪を裁く神さんがおって、半人半獣のね、あっ、違うか、半神半獣っていうんか、
よくわからんが、半獣半神ていうんかね。

なんかトナカイみたいな顔した人がね、ビロードかレースかなんか知らんが、
つやつやの、なんか、服着てね、そして秤使ってね、それに魂をのっけて、
片方に分銅のせて、片方に魂のせて、魂の重さ調べてね、

そして秤がある程度以上だったら天国で、下だったら地獄とかね。まあこんなことやってるという伝説があるし、
日本とか東洋の方では、閣魔大王がおって、そういうことしてると、こういう話がありますねえ。

まあ、閣魔大王っていう人そのものが、いるわけではないんですね。

ただ、人間が天国、地獄へ行くときに際してね、やはり立ち会い人、そういう役人はいるんですね。
やっぱりそういう立場いるんですよ。




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