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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

神霊界入門 -畜生地獄-  

神霊界入門128-181



暑い夏が続いております。
みなさまは、お盆をどのようにすごされたでしょうか。
少し間が空いてしまいましたが、本日は四番目の地獄を紹介しようと思います。
以下がその本文です。


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畜生地獄

さて次は、第四番目の地獄です。
これは昔からおなじみの地獄で、畜生道とか動物界といわれています。

ここにいる人たちは、顔だけは人間で、身体は馬であったり、
牛であったり、鳥であったり、ヘビであったり、豚であったりとさまざまです。

それぞれ自分の心性に合った獣の姿をしています。

なかには空を飛ぶ編幅のようになって、洞穴に逆さにぶら下がっている人もいます。
入間として生まれて、死んで、これではまったくかわいそうです。

小桜はこの地獄に来て、恐ろしいよりむしろ、気の毒で涙なしでは見ていられませんでした。

ああ、入問として生きて来て、六十年か七十年生きて来て、
そのとどのつまり死んでから、獣のような姿をとって生き続けるくらいなら、
いっそひとおもいに、生命など消失してしまえばよいのにと思いました。

人間に永遠の生命があるというのは、立派な人生を生きている人にとっては、
ほんとうにかけがえのないすばらしいことであるし、
他方、地獄でのたうちまわっている人にとっては、まさしく永遠の責め苦でしかありません。

人間はほんとうの意昧での利己主義者にならねばならないと、小桜はつくづくと思いました。
ほんとうの意昧での利己主義者とは、永遠の生命を幸せに生きようとする人間です。

昔の中国の諺に、「朝三暮四」というのがあったと小桜は聞いたことがあるように思います。

これは昔、中国の偉い人が、栃の実を猿に与えるのに、朝に三つ日暮れに四つ与えようとしたら大いに怒ったので、
朝に四つ暮れに三つ与えると言ったら、猿が大喜びをしたという故事から出た言葉だそうですが、
人間も猿も同じですね。

目先の、数十年の肉体人生だけが快楽だったら、あとの生命のことなんか考えていないんですから。

さて、この畜生地獄に来ている人は、人間としての尊厳を忘れて生きてきた人たちです。
肉体即我という自覚のままに生き、本能と欲望の赴くままに生きてきた人たちの行く末です。

猪疑心の強い人はヘビのような、欲望を抑え切れない人間は犬のような、
人を騙し続けてきた人は、キツネのような姿になって畜生地獄をつくっているのです。

そしてもっとも注目すべきところは、彼らの大部分は、
何百年もこの地獄にいるうちに自分をその動物そのものだと思いこんでしまう点です。

これが実は、動物霊の憑依といわれている事実の真相なのです。

自分をヘビだと思込んでいる地獄霊、自分をキツネだと思い込んでいる地獄霊が、
生きている人間に憑依しては人間を苦しめているのです。

ですから霊能者が現象を行なうと、ヘビのように身をくねらせたり、キツネのまねをする霊が、
人間の言葉でしやべったりするのは、ほとんど畜生地獄に堕ちた人間霊だからです。

ほんとうの動物霊も確かに存在はしますが、人間の言葉をしやべるのはよほど古い霊に限られ、
霊障といっても軽度なものが多いようです。

彼らはこうして憑依をすることによって、ますます人間の道を大きくはずれてゆき、
明るい天上界に還ってくることが難しくなってくるのです。


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いかがでしたでしょうか。
次回は第五回として「焦熱地獄」を紹介する予定です。


category: 畜生地獄

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神霊界入門 -焦熱地獄-  

神霊界入門128-181



それでは、本日は第五番目の地獄を紹介いたします。
以下がその本文です。

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焦熱地獄

さて、では今夜は、第五番目の地獄、焦熱地獄にご案内いたしましょう。

読んで字のごとく、この地獄ではたいへんな高熱の人びとの肉体(と思われているもの)が焼けただれています。

水を求めて、ゆらゆらと陽炎の立ち昇る砂漠を、腰に布一枚を巻いただけで、
やせて骨だらけになった男女が彷徨っています。

この地獄を特色づけているものは、「渇望」という言葉です。

人びとに布施することを忘れて貪欲にむさぼり、
求めることばかり考えて人生を送ってきた人びとの末路なのです。

物欲が強く、つねに不足と不満ばかりを心に思って生きてきた人びとです。
そうした人びとの心が、熱風の吹きつける灼熱の砂漠という心的風景をつくり出しているのです。

実在界という世界は、己の心に嘘のつけない世界です。
すなわち、その人の容貌も、その人を取り巻く環境も、その人の心の真実の姿を正確に反映してしまうのです。

心のなかで邪悪なことを考えつつ、正直者の群れにいることはできないのです。

地上の世界では、羊の群れのなかに狼が忍び込むことはよくあることですが、
実在界においては、心清き人びとの集団に、心悪しき人びとは入ることができないのです。

それというのも、こちらの世界では、お互いの心のなかはまるでガラス張りで、
嘘いつわりがいっさい効かないからなのです。

ですから、よく宗教家たちは、反省の大切さを説きますが、反省が大切なのは、
そのことによって、自分の心のくもりを発見し、取り除くことができるからなのです。

あなた方、たとえどんな大悪党であっても、その悪党が心から神に詫び、
深く反省している姿を見たならば、思わずかけ寄って、肩に手をかけてやりたくはないですか。

反省の姿はつねに美しいのです。
真実の反省の姿はどのような大天使に見られたとしても、決して恥ずかしいことはないのです。

神は、盲目の人間、神理に対して盲目である衆生に対して、
一度たりとも罪を犯すなとは決して言っていないのです。

罪を犯したとしても、反省という行為によってその罪は消えるように、
神はそのような完全なものとして人間をお創りになったのです。

それはそうです。バケツの水をこぼしたなら、雑巾でちやんとふきなさいということなのです。

これが、「反省」という宗数的行為のもつ意昧なのです。

この焦熱地獄にいる人びとは、二つのことさえ実行したなら救われるのです。

その一つは布施ということ、つまり、他人に対して愛の行為をするということです。

いま一つは、欲望にふりまわされない、足ることを知った心でもって日々生きるということなのです。

足ることを知り、みずからの使命を自覚して日々着実に生きる人には、地獄というものは無禄のものなのです。

あれが欲しい、これが手に入れたいと山のような欲望にふりまわされて、
自分で自分を苦しめているのが、愚かな人間の姿なのです。
 
ですからこの焦熱地獄というものは、決して神が罪を与えたまうためにお創りになったものではないのです。
まさにその環境こそが、その世界にいる人びとにとっては、悟りへの近道となっているのです。

迷っている霊たちは、なぜ自分が焦熱地獄にいるのかを考えることによって、
悟ることができるようになっているのです。


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いかがでしたでしょうか。
次回は地獄の最下層を紹介する予定です。



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