永遠の法 -五次元の世界- 8 
2015/09/23 Wed. 15:46

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8光ある者よ
魂の糧としての悲しみ苦しみという話をしましたけれども、
では、そうしたものに揉まれたときにどうなるかという疑問がありましょう。
悲しみの底をブチ割ったときに、底から光が出てくるという話を、皆さんはご存知でしょうか。
どん底のときに、その鍋底をブチ割ったときに、一条の光がほとばしってくる。
光は天上からのみくる、上からのみくるというように思っていたのにかかわらず、
底をブチ割ったところ、下から光がほとばしってくる。そういうことを言う方もいらっしゃいます。
シェークスピアという大作家と言いますか、芸術家は、さまざまな悲劇物語を書きましたが、
彼が悲劇を綴ってきた理由は、悲劇の底にある光を人びとに示さんとしたからなのです。
悲劇の底をブチ割ったとき、そこに人間性の真実があり、その真実の奥に、内なる光があるということ、
潜んでいるということを、彼は世の人びとに示さんとしたわけです。
すなわち、喜劇や、あるいは、楽しい劇ばかりが、人間にとって進歩を促すものではないということです。
世の悲割と言われているような現象のなかにあっても、それがある意味では、
先に近づいていくための近道だということもあるのです。
自分の運命を呪う人が、世のなかにはけっこう多いものです。なぜ自分だけがこんな運命のもとに生まれたのか。
こういう苦労をせねばならぬのか。こうしたことを考える人は多いでしょう。
幼くして両親を失うとか。また、経済的苦悩のために学校に行けないとか。
あるいは、結婚ができないとか。結婚をしたけれども、配偶者と死に別れたとか。
生き別れたとか。子供が生まれないとか。また、子供が生まれても、それが十分に育たずに死んでしまったとか。
不良になったとか。ひとつひとつあげていけばきりがないほど、世に悲しみの種はつきないわけであります。
しかし、こうした悲しみ、あるいは、より不幸な運命と言われているものは、
ほんとうに何の意味もなく、何の役にも立たないのでしょうか。
私たちは、このことについて、もう一度考えてみなければなりません。
天国の世界、すなわち、私たちがもと往んでいた天国の世界というのは、
もともとそういう悲しみや苦しみが少ない世界なのです。
自分の念いがなかなかかなわないというようなこともないわけではありませんが、
実際上、積極的な悪というものは、碓かに天国には存在しません。
けれども、この地上では、そうした運命に翻弄されるがごとく不幸が襲いかかってくることがあります。
旧約聖書にあるヨブの悲しみ、あらゆる災難と不幸がヨブにふりかかって、
とうとうヨブが神を呪うまでになったとき、神はヨブに対して、答えました。
「お前は神の心を裁くまでに、それほど賢明であったのか。ヨブよ、もっと謙虚になりなさい。
お前は、私の心がほんとうにわかっているのか」
神は、このように、ヨブに呼びかけています。
このときの神のヨブヘの答えのほんとうの意味は、神は進化というひとつの目的のために、
さまざまな舞台装置を用意されているというように考えたらいいと思います。
自分を残して死んでいった、旅立って行ったと思う人びとも、
結局、あの世の世界では、また素晴らしい生活をしているわけです。
そうであるならば、この地上のみに視点をおいて、ものごとを考えてはならないということがわかるはずです。
結局、自分にいろんな試練を与えられる人というのは、それだけまた、光に近いところにるにいるのです。
喜びのなかにいれば、天国は近いけれども、悲しみの底にも、天国は近づいているということ。
そして、その悲しみの底を打ち抜いて光を手にしたときに、そこに天国が現われる、と。
世の人びとは、このことを知らねばならないわけです。
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category: 五次元霊界
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