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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 1  

ソクラテスの霊言128-183



あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今年もみなさまにとって、心の糧となる記事を紹介させていただけたらと思います。

それでは第一回として、ソクラテスの霊言の中からカントの霊訓と題しまして
あの世での階層の詳細と、その階層ごとにどのような人が住んでいるのかを紹介させていただきます。


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人間はなぜ肉体という繭に宿る生活をせねばならぬか

まず人間は、僅か数十年の人生をこの地上で経験するわけであるが、
この地上生活の其の目的は何処にあるであろうか。

霊としての存在は、この地上にある時、肉体といういわば蓑というか繭というか、
そうしたものの中に閉じ込められている。

その霊は、非常に不自由な生活を送っている。

例えて言うならば、縫い包みを着て歩いているようなものだ。

たどたどしく歩き、食事にも不便をする。

縫い包みを着ればそうであろう。

そのようなことを、霊は何十年間経験するのである。

ではなぜこのような不自由な肉体に、霊は宿るのであろうか。

霊は霊として自由に天空で生きて居れば、それで十分であるはずなのに、
なぜに母体に宿り、不自由な生活をしていくのか。

何ゆえに苦しい肉体の中に入って生まれ、苦しみ、病気をし、そして死の苦しみを味わっていくのか。

私達の世界から見るならば、このようなことは苦悩以外の何ものでもない。

けれども、なぜそのようなことが、みなさんの経験すべきこととされているのであろうか。

これは、肉体に宿るということによって、人間の霊は、
人間としての経験以前の原始的な不自由さを経験するということなのである。

つまり、ある意味においては、動物的属性の中で生きるという経験をさせられているのである。

世の認識というものは、すべて相対的に出来ているものであり、

絶対的にこれのみが「其」これのみが「善」というものは、例えば、
それだけしかないならば十分に認識することはできないのである。

人間が人間であることを十分に理解するためには、
人間ではない〝属性″の中において経験を横む必要があるのである。

従って、肉体を持った人間というものは本来、霊天上界における自由を喪失した代わりに、
動物的なさまざまな感覚や、欲望を身につけることとなる。

この中において、其の、本来の人間性は如何なるところにあるのかということを、再認識させられているのである。

これが肉体修行の意味である。



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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 2  

ソクラテスの霊言128-183



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例えば、私たちは、霊天上界の上段階において、毎日を過ごして居るのであるが、

これは確かに私の精神波動にも同調し、非常に過ごし易いのであるけれども、
この状態を余り長く続けるならば、私としては、新たな学習の機会が少ないのである。

やはり相対的に別のものを経験することによって、
現にわが在るところを更に一歩前進せしめんとする努力が必要なのである。

更にまた、肉体修行においては、先程申した〝動物的属性″を経るという以外に、
いま一つの目的があるのである。

これは既に、あなた方も学んでおられると思うが、この地上界においては、
神の創られた世界の、あらゆる霊的存在が、一堂に会する場であるのである。

神はこのような場を三次元に設けられたのである。

この三次元には、鉱物、植物、動物、そして人間。

人間においても、地獄に堕ちていくような人もあれば、善人としての生涯を送る人もあれば、
或いは光の指導霊達も居るのである。

光の指導霊達にとってみれば、この三次元においては、生きていくにも非常に苦労をするし、

また彼らにとっては、他の知能、或いは知識、
或いは徳の劣ったものを指導するという役割を果たしているようではあるが、

逆に、彼らを導くことによって、光の指導霊達自身も、また学習を得ているということなのである。

自らが不自由な身体に入りながら、更に不自由、
あつかいの不自由な人びとを相手にするという経験を経ることによって、

光の指導霊達は、彼らの新たな経験を積むし、また霊的発達の未熟な人間においても、
本来の世界に還ったら、二度と会うことができないような、霊的指導者達との接触を得て学ぶ機会がふえるのである。

こういった意味において地上界は、非常に存在の意味があるのである。

けれどもこの地上界において人類は、何万年、何十万年、何百万年、更にそれ以上の歴史を経て来たのである。

その中においてこの地上に、非常に執着をする人間が多くなって来たのである。

かつては、天上界からこの地上に生まれて来る周期というものは、非常に永かったのである。

例えば何万年に一回生まれ変わってくる。
場合によっては何百万年に一回しか生まれ変わって来なかったのである。

それが近代においては或る霊は数百年ごとに、或る霊は数十年ごとに、
そうした非常に生まれ変わりの周期が短くなっている。

これが人口増加の一つの原因にもなっている。

本来何万年、何十万年ごとに生まれ変わって来た人類が、この近代社会においては、この地上に執着が多いために、
何度も、何度も生まれ変わっているのである。

これが人口増加をもたらしていると同時に、いま一つは本来の霊的存在に対して、霊的ではなくて、
肉を欲する人々が、地上を欲する人々が増えているということである。

これは、或る意味においては危険なことである。

本来の世界よりも、この地上生活の方が良いということは、どういう意味であろうか。

本来修行の場であるべきところが、永住の場として乞い願われて来ているということである。

これは神の永遠の進化の法則からいくならば、逆行したことなのである。

今この地上界は、そのような問題を抱えている。




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 3  

ソクラテスの霊言128-183



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幽界、四次元世界の様相

さて、この地上を去って人間は、あの世へと還ることとなる。
このあの世というのが、最初の段階があなた方が「幽界」と称んでいる世界である。

この〝幽界〟においては、人間は地上生活で送っていた想念をまだ拭い去れないでいる。
従って四次元であるにもかかわらず、三次元世界と同じような生活様式をとっている。

彼らの生活ほぼ、地上生活の時代と同じである。

不思議なことは、ただ、彼らは何かを思うことによって、
その思いを或る程度現象化できるという力を持っているということだ。

これが彼らにとっては、いま一つわからないことである。

例えば、四次元の〝幽界〟の中においても、例えば、大工なら大工をしたいという人が居るとしようか。

この地上に居たならば鑿や、鉋、或いは鋸というものを購入する。

或いは自ら造るということをして、はじめて鑿や、鉋によって大工仕事ができるのである。

しかるに、四次元幽界世界においては、彼らは、たとえば家を建てたいと思うと、
なぜか鑿や、鉋が、そこに在るのである。

当初〝幽界″に来た人間にとっては、これは非常に不思議なことであるのだが、
やがてこれが当然のこととなってしまう。

なぜか知らないが、欲しいものがそこに在るのである。

例えば、麦を脱穀してパンを造りたいと思うと、なぜかそこに麦畑があるのである。
そして麦を摘むことが出来るのである。

こういった世界、当初は非常に面喰らうのであるが、やがてこれが当然なこととなる。

この意味において〝幽界″世界は、この三次元世界におけるよりも便利であろう。

またこの四次元の中においては、〝地獄界″というものがある。

この中においては、例えば地上に居た時と同じく、いまだに戦争をくり返している霊達が居るのである。

この霊達も、例えば弓矢の時代に亡くなった霊達は、地獄で戦争するにしても相変わらず弓矢で戦争しているのである。

この弓矢というものは、彼等が造ろうとしなくとも、想念の中にあるから弓矢が出てくるのである。

ところが、同じ戦争をしていても、近代に亡くなった人々の戦争道具は、銃であり剣であり更に大砲である。

そうすると弓欠の時代の人々は、銃で撃たれても分からないのである。

殺し合いをしているのだが、銃が効くのは、銃の恐ろしさを知っている人間だけであって、
知らない弓矢の世界の人間にとっては銃で撃たれても、何事も起きないのである。

こういった想念の世界が四次元世界ではくり展げられている。
(この世界を仏教的には阿修羅地獄という)




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 4  

ソクラテスの霊言128-183



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地獄界の様相(無間地獄)

また地獄の中でも、もっと、もっと深いところの地獄がある。この中においても、
例えば宗教家達、あなた方がお馴染みの宗教家達が居る。

仏教的には〝無間地獄〟といわれるあたりである。

生きていた時に、人間達を間違った方向に教え導いたというために、
いま〝無間地獄″で苦しんでいる霊たちが居る。

この〝無間地獄〟というものは、コールタールのようなものが足もとを埋め尽くしている。

歩こうとしても歩けないような臭い沼の中、或いは、ある者は、深い深い洞窟の中に堕とされている。

或る者は深い深い井戸のような処に居る。

〝無間地獄〟の特徴は、要するに囲りが真っ暗であり、不愉快な妖気漂う世界であり、
それぞれの人間が孤独にひとり孤立されているということである。

では、なぜこのようになっているのか。

彼らは思想的にはいわゆる危険犯、ということである。

人類から隔離されているということである。

思想ということ、人間の思想ということは、この三次元においても最大事なことであり、
その想いを間違った方向に指導したということは、正しく〝神″の光の逆のものである。

従って人々を惑わした者共は、その償いを十分にせねはならなくなっている。




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カントの霊訓 -あの世では階層ごとにどのような人が住んでいるか- 5  

ソクラテスの霊言128-183



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地獄界の様相(畜生道)

また、他の地獄がある。あなた方が仏教の方では、〝畜生道″と言っている地獄である。

動物界ともいわれている。

この世界においては、人々はもはや人間の姿をしていない。

あなた方は昔話で聴いたことがあるであろう。
半人半獣、半獣半人の動物というのを、物語で聴いたことがあるであろう。正しくその通りである。

顔だけが人間で、体が狼であったり、顔が人間であるのに、体が大蛇であったり、
顔が人間であるのに、体が豚であったり、そうした世界があるのである。

彼らは、幸か不幸か、生きていた時に、そういった動物の特性を、一番強く持っていたのである。

そうして動物の属性を身につけたために、その属性を去るために、
それが自分が人間としての属性を忘れているということを十分に気がつくまで、
その世界で修行しなければならないのである。

これがいわゆる畜生道であり、かつて宗教家達のうちで、この畜生道を霊視したものが居るのである。

彼らはこれを見て、人間が動物になったりするというようなことを思ったわけである。

それが間違った意味での<転生輪廻>の説になっているのである。

霊世界においては、人間は動物の身体をとっていることもあるけれども、

魂自体はあくまでも人間であって、一時期動物の身体をとるようなことがあっても、
人間霊はやはり太初より人間霊としての使命を持っているのである。




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