太陽の法 -一念三千- 
2021/09/11 Sat. 11:03

心の中の思いの針は、その内容によって即座にあの世の天国・地獄に通じてしまう。
その一念三千について、天台大師が守護・指導霊から受けた通信の内容を紹介させていただきます。
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「人の心には、念いの針というものがある。この念いの針は、一日のうちで、さまざまな方向を指し示し、
揺れ動いて、とまるところを知らない。
仏門に入り、修行にあけくれている者であっても、若い美しい女性を見ては、心の針が揺れ動く。
おいしそうな食べものを見ては、心の針が動く。
念いの針、あるいは、心の針は、他人が自分より早く悟るのを見ても、揺れ動く。
師に叱られては、また針が動く。
こうして、修行者の心はやすらぐときを知らない。
しかし、人間のほんとうの悟りは、おおいなる調和とやすらぎのなかにあり、
せわしく揺れ動く心のなかにはありはしない。
天台智顕よ、汝、よく悟りて、人びとに念いの針、心の針の指し示すべき方向を明示せよ。
念いの針が、四六時中揺れ動いては、人間には、ほんとうの心のやすらぎというものはないのだ。
磁石がつねに北を指し示すように、心の針もつねに神仏の方向を指し示すべきである。
北極星がつねに北の方向を人びとに明示するように、天台大師よ、人びとをよく教導して、
神仏の念いを念いとして生きるように導きなさい。
これが真の不動心であり、真の信仰なのだ。
心とは、まさしく不思議なものだ。その念いが修羅のごとくなれば、
心は阿修羅界という地獄に通じて、いつのまにか、闘争と破壊の人生を送ってしまう。
心の針が色情の方向に固定化されると、その念いは、地獄の色情地獄に通じ、
その針を伝って、地獄の亡者どもが、生きている人間の心に土足で入り込んでくる。
その結果、生きている者は、あるいは女性に狂い、あるいは男性に狂って、
亡者どもの情欲をはらす道具となりはてる。
神仏を求めていた者の念いの針が、どこかでねじまがり、増長慢となり、天狗となると、
異説、邪説を説きはじめ、地獄の悪魔の声を如来、菩薩の声と聞きちがえ、
人びとを迷わせては、自らも無間地獄に堕ちてゆく、あわれな求道者もいる。
あるいは、念うことつねに善で、天国の善人界(五次元霊界)に心の針が通じ、
天国の先祖や友人がつねに微笑みかけている者もいる。
またある者は、人助けにつねに心を砕き、おごらず、高ぶらず、神仏の道を求めている。
その者の心は、すでに天国の菩薩界に通じ、生きながらにして菩薩の境地にある。
またある人は、神仏の正法神理を世の人びとに伝えることのみに心の針が定まり、
その教え正しく、その人となりや清く、万人が手本とするに恥じない生き方をしている。
その人の心は、すでに生きながらにして、如来界に通じ、天上界の諸如来が、つねにその人を指導している。
このように、心の針は、不思議な働きをするのだ。
天台智顔よ、汝、この神理をよく理解し、生きてゆく人びとの修行を助けよ。
天国地獄は、死んでからあの世にあるのではない。天国地獄はこの世にあり。
この心にあり。人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ。
この真実を知ったならば、人びとは日々止観し、心を静め、自らの人生をふりかえり、
自らの一日をふりかえり、その心と行ないを正してゆくにちがいない。
天台大師よ、八正道は、まさしくこの一念三千論を基礎として生まれたのである。
天国地獄があの世に還ってからではなく、この世に生きている人間の心のなかにあるからこそ、
この世で生きたときの心が、そのまま、あの世での生き方を決めるからこそ、
人間は、八正道を人生の基本として生きねばならないのである。
八正道とは、すなわち、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、
正しく生活をし、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定に入るべし。
この八つの道をきわめてこそ、人間ははじめて、己れの心を正しくたもち、
人間としての完成を見るのである。
天台大師よ、この八つの道を基本として、自らの心と行ないを正し、
真実の一念三千論を世にひろめなさい。
それが汝にとっての悟りであり、
世の人びとにとっての悟りでもあるのだ。
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