空海の霊言 -一念三千- 
2013/06/16 Sun. 17:07

みなさまは日々、どのような心でもって、念いでもって生きておられるでしょうか。
今日は、人の心と一念三千について考えてみたいと思います。
このような心でもって生きておられる人は、現代では非常に多いかもしれません。
それは、常に怒りの念いがうずまいているような人、攻撃的な言動で、いつもまわりの人を
責めさいなんでいるような人、そうした人は、破壊と闘争の世界である阿修羅地獄に通じています。
あるいは、ヘビようにしつこく、しつこく人を恨み、心の中が妬みと嫉みで満たされているような人
そういう人の霊体は、すでに人の姿をとっていないかもしれません。
あるいは、心の針が色情の方向に固定されると、その念いはあの世の色情地獄に通じてしまい
その針を伝って、地獄の亡者がその人の心に入り込み、亡者の情欲をはらす道具に成り果ててしまいます。
しかし、このような人もおられることでしょう。
念う事、常に善であり、その心の針は天国の善人界に通じており、あの世の友人や守護霊が
常に語りかけているような人。
あるいは、また、
世の中の役に立つために、神の心を探求し、そうした自己を造るため、日々努力精進しているような人
そうした人は、天国の神界に通じているのではないかと思います。
大いなる神仏の愛に感謝し、その恩に報いるため、己を捨てて世の人々を救うため
おごらず、高ぶらず、日々人助けに邁進しているような人、そうした人の心はすでに
天国の菩薩界に通じ、生きながらにして菩薩の境地にあります。
あるいは、神仏の心、正法神理を世に伝える事のみに心の針が定まり、常に心清く正しく
万人が手本にするに恥じない生き方をしているような人、その人の心は、すでに生きながらにして
如来界に通じ、天上界の諸如来が、つねにその人を指導している。
このように、人の生き方、心のあり方はさまざまでありますが、こうした心の針というものは、
それと相通じる、天国地獄へと即座に通じてしまうのです。
天国地獄は、死んであの世にあるのではなく、この世にあり、この心にあり、念いの中にあるのです。
人の念いは、すなわちこれ一念三千、あの世の天国地獄に即座に通じてしまうのです。
こうした事実を知ったならば、私達は日々止観し、心を静め、その一日を、その人生を振り返り
その心と行いを正してゆかねばならないのです。
天国地獄があの世に還ってからではなく、この世に生きている人間の心の中にあるからこそ、
この世で生きたときの心が、そのまま、あの世での生き方を決めるからこそ、私たちは神仏の心を心として
その心にあわせるべく、心と行いを正していかなくてはいけないのです。
category: 空海の霊言
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