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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

キリストの霊言 -I- 6  

キリストの霊言

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へロデ王の幼児狩りは作り話

-善川-
そうですか。次にお伺いしたいことは、あなたはご生誕後、
生母マリア様とご一緒にエジプトの地に逃がれて行ったという聖書の記述のことについてですが。

-イエス-
エジプトに? 何ですか……。

-善川-
かつて東方から来た占星術の学者たちが、エルサレムのへロデ王のもとに行き、
生誕されたあなた様のみもとへまいり祝福されたが、神のみ使いが父君ヨセフ様に霊告され、
へロデ王がベトヘレム周辺一帯の二歳以下の男の子供を捕えて殺すということで、
夜の明けぬ間にエジプトの地に避難されたということでありますが -。

-イエス-
それは、いわば迷信です。
後の人達が、そのような物語を作り出したということであって実際、
預言者が私が生れることを告げたからといって、すべての男の子を殺すようなことがあったわけはありません。

-善川-
そうですか。それはともかくとして、あなた様のご生母マリア様のことについて -。

-イエス-
彼女が生きていたころは、平凡な大工の妻として、善人としての生涯を終えました。




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キリストの霊言 -I- 7  

キリストの霊言

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処女懐妊論は誤り

-善川-
そうでしたか。それで、その時のお父様はヨセフと申された方であったそうですが、
聖書によれば、実はこの方は、あなた様の実のお父様ではなくて、いわゆる処女懐妊という……。

-イエス-
間違いです。そのようなことは、後世の人が、私を神格化するために考え出したことであります。
私自身は正常な夫婦の営みの中に生れてきました。
私が本当に神の子であるならば、生れる時にそのような奇蹟的な生れ方をする必要はないのです。
普通の人間として生れ、やがて悟り、人びとに、神の道を説けばそれでよいではないですか。
最初からそのような奇蹟の中に生れる必要はないはずです。私も人間として生れたのです。
人間として生れ、さまざまな苦しみの中に悟っていったのです。

-善川-
お伺いします。聖書によれば、あなたが人びとに教えを説かれるまでの間が、空白になっているのですが。

-イエス-
それは削除されたのです。
私の三十歳頃までのことも、当初の聖書の中には書かれていたのです。
なぜ削除されたか、それは私の三十歳ぐらいまでの生き方が、余りにも人間的だったからです。
神の子として、神聖化するのには困るから削除されてしまったのです。
あたかも私が生れた時に、処女マリアから生れたといわれるには、私の三十歳までの、人間的な、
あまりにも人間的な生き方を書いたならば、後の世の人たちはこのことをとても信じてはくれない。
とても神の子だとは信じてくれないという思いから、何度かの聖書の書き換えによって削除されてしまったのです。
当初の十一弟子たちの私のことを記したものの中には、私の三十歳ぐらいまでのことも逐一書かれていたのです。

-善川-
それを聖書の中では窺うことができなかったのですが、
その間実生活としてはどのようなご生活をなさっておられましたか。
普通の生活をされておられたのですか。

-イエス-
そうです。

-善川-
お父様のお手伝いをされておられたのですか。

-イエス-
大工の子供でした。しかし勉強しました。私は寸暇を惜しんで勉強をしました。
預言書を読みました。現にその当時の宗教家たちの意見も聴きました。
しかし後の世の人たちは、私がそのような勉強をして、はじめて法を説いたということは堪えられないことだったのです。




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キリストの霊言 -I- 8  

キリストの霊言

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私は七歳で霊道を開いていた

-善川-
しかし、あなたはその頃、既に霊道が開かれておりましたか。

-イエス-
開かれておりました。

-善川-
何歳ぐらいからですか。

-イエス-
七歳です。
                            
-善川-
ルカ伝によれば、その頃あなたはご両親に連れられて、過越の祭りにエルサレムに上っていかれたようでしたが、
十二歳の折りにエルサレムの神殿で、学者、パリサイ人たちと議論を交しておられたということですが -。

-イエス-
それは言い過ぎです。それは神格化されたものです。
ただ私は、当時教会などに行っている変わった子供だというふうに見られ、
そのようなものに興味を示していた子供であったわけです。

-善川-
あなたのご兄弟の中で、あなたと同じように、神の道を説いた方はおられますか。

-イエス-
一人もおりません。彼らと私は肉においては兄弟でありますが、精神においては全く他人でありました。

-善川-
その後あなたは荒野に出られましたですね、そこで -。

-イエス-
サタン、ベルゼべフ、そのベルゼべフの試みを受けました。

-善川-
しかしその前に、あなたはバプテスマのヨハネに会われました。

-イエス-
会いました。
  
-善川-
彼はあなたが救世主だということを知っておりましたか。

-イエス-
知っておりました。

-善川-
そしてその時ヨハネはあなたに、
『私があなたの洗礼を受けねばならぬ立場にあるものではありませんか』と言ったときに、
あなたは「今は許せ」といってヨハネのバプテスマを受けられたということですが……。

-イエス-
私の謙遜の言葉だと受け取って下さい。
彼は私に対し、靴の紐も解く値打ちもない、と言いましたが、
そのことをそのままに受けて、私が人びとに言って歩いたとしたら、
私は不遜で倣慢な人間になってしまいます。
私は、私の教えを説き、やがて評価されるとしても、最初からそのような、
特に優れた人間のようなはじめ方はしたくなかったのです。
なぜなら、私も当初教えを説き始めた頃には、さまざまなサタンの試みを受けており、
増長慢の心を持ったら私自身が危険であったからです。

-善川-
あなたが荒野でいろんなサタンの試みを受けたということは事実でしょうか。

-イエス-
事実です。

-善川-
荒野でということは、例えばその地を道場として、座して観法でも行った際のできごとですか。

-イエス-
荒野というのは一つの象徴です。
荒野という地域があったわけではないのです。
いろんなところでサタンの試みを受けました。それを弟子達が象徴的に語っているのです。

-善川-
そこで、その試練の時期を乗り越えた時に、あなたは神の子として完全な悟りを開かれたわけですか。

-イエス-
完全はありません。完全というものはありません。





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キリストの霊言 -I- 9  

キリストの霊言

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私にも罪はあった

-善川-
あなたのことについて、イエス・キリストは、神の一人子であって一点の罪もなく、この世に生れ、
この世を去った方だとキリスト教を信ずる方々は言っていますが、そうであったのですか。

-イエス-
悲しいことではありますが、私もさまざまな罪を犯しました。
私はたとえば、親孝行をしませんでした。これは私の罪でありましょう。
私は兄弟たちを捨てました。これも罪であったでしょう。
とり方によっては私の声は、ある時は不遜に聴こえ、倣慢に聴こえたでしょう。
あるときは、かつての宗教、モーゼの教えを信じていた人たちを傷つけたかも知れません。
これもある意味では罪でありましょう。
しかしながら、そうしてでも実現しなければならないことがあったのです。
そうです。大きな道があったのです。
私はその過程でさまざまな罪を犯しております。
私は一つの罪もなく殺されたものではありません。

-善川-
それでは聖句の中に『もし右の目汝をつまずかせば、扶り出して棄てよ。
五体の一つ亡びて全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。もし右の手汝をつまずかせば切りて捨てよ‥…』
という一節があるわけなんですが。

-イエス-
言い過ぎです。それは後の人びとがかなり誇張した形で言い過ぎております。

-善川-
言い過ぎといいますと-。

-イエス-
目を棄てよ、とまでは私は言っておりません。

-善川-
もし右の手汝をつまずかせば切りて棄てよと。
                                    
-イエス-
言い過ぎです。ただ私はそのような眼を持つなら、
眼を持たない盲目の方がましだということを言ったのです。
目を抉りて棄てよなどとは、私はいっておりません。

-善川-
そういう誡を守り、自らの腕を切った僧侶もいましたですね。

-イエス-
愚かであります。そういう話を聞くことは、非常に悲しいことです。
私たちにとって、自分の教えがその通り伝わらず、間違ったふうに伝わり、
間違ったようにとられ、さまざまな不幸を生み出すということは一番つらいことです。
私は目を扶りとれとまでは言っていないのです。
そのような眼は持たぬ方がましだと言ったのであります。




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キリストの霊言 -I- 10  

キリストの霊言

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萬教の本源は一つ、人はみな神の子

-善川-
最後にお尋ねいたしますが、私はそもそも今世において、
最初に神縁を授けられたのはキリスト教でありました。
その意味もあって、あるいは過去世において、
あなた様の又弟子の一人にでも加えさせていただいたのではないかと思うのでありますが、
如何でしょうか。お伺いいたします。

-イエス-
私の弟子であったのではなくて、私たちの弟子だったというべきです。

-善川-
私たちとは?

-イエス-
光の大指導霊たちです。
私たちは一人だけで生きているのではありません。グループとなっているのです。
仲間たちがいるのです。仲間たちの教え、如来界の人たちの考えは、やがて菩薩界の人たちに届いているのです。
私たちは菩薩界の人たちを指導しております。そういう意味においてあなたは私の教えにもふれているかも知れません。
しかしながら私、イエス・キリストの教えも、釈迦の教えも、モーゼの教えも、マホメットの教えも、
すべて一つだということなのですから、私の弟子だったということではなくて、
私の天なる父の弟子だったというべきでしょう。

-善川-
あなたの仰しゃる天なる父といわれる方は、エル・ランティ一様のことなのですか。

-イエス-
エル・ランティーのことです。
私が、わが主、わが父と言ったのはエル・ランティーです。

-善川-
エホバと言われた方は。

-イエス-
エホバも、エル・ランティーのことです。

-善川-
旧約聖書に出てくるエホバ神は、非常にイスラエル民族の擁護者といいますか、
偏狭なまでにこの民族にのみ肩入れしていたような感じがありますが。

-イエス-
当時は一つの民族という域を越えた認識ができなかったのです。
ですから後世から見れば、さまざまな民族があり、
だから神が一つの民族を庇護するということは、不合理だと思えるかも知れませんが、
当時としてはやはりそういう世界観だったということなのです。

-善川-
それでは旧約聖書第一章の創世記に出てくるアラーの神は、どうだったのでしょう-

-イエス-
アラーも私の主、父、アルラー・エル・ランティー、アラー・エル・ランティー、こうなったのです。

-善川-
今後は、日本に現われてくる多くの光の指導者達を、
あなた様が中心となってご指導される計画でありましょうか。

-イエス-
私が既にこうして指導霊をつとめているのではないですか。

-善川-
その霊は、あなたに代わって現代に現われてきた指導霊ということでしょうか。

-イエス-
そうです。私と同じ力を持っています。

-善川-
あなた様の分身、または魂の兄弟ということですか。

-イエス-
違います。ただ私と古くから交互に法を説いて来た仲間の霊だということです。

-善川-
その霊の過去世は歴史上に残っておりましょうか。

-イエス-
残っております。

-善川-
あなたが霊道を開かれたのが七歳ということでしたが。

-イエス-
既に七歳の時から霊現象は現われておりましたけれども、布教が始まったのが遅かったわけです。
神の子としての自覚をもってから、その教えを人びとに説くまでの間は、
その人自身の魂の修養をする時期があるのです。
すぐに説くことはできないのです。
あなた方にとっても、「正法」を説いて世の人びとを教えるまでには、
今後さらに、何年かの修行が必要となりましょう。

-善川-
本日は失礼に当たるようなことをお尋ねしたりし、申し訳ありません。
いろいろお教えいただき、本当にありがとうございました。
今後のお導きをよろしくお願い申しあげます。


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いかがでしたでしょうか。
キリストがなにゆえに日本語で語りかけるのか、それが多くの方々の疑問でしょう。
それにお答えするとするならば、霊の世界は「念」の世界であり一定の思念が霊声者に伝えられてくると、
それが自動的に日本語に翻訳されるのだ、という事になります。

どうか真実の世界の神秘を感じ取っていただけたらと思います。




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