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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

高橋信次霊言集 -反省とは- 1  

高橋信次霊言集―同時代への福音



今回は、反省ということについて、お話させていただきたいと思います。

反省という言葉は、常日頃よく耳にする言葉だと思います。

では、反省とは何かと問われたときに、その本当の意味をはっきりと答えられる方は少ないと思うのです。

前回、運命の開拓をご紹介させていただいた中では、人間の本来のすがたは肉体ではなく
霊であり、魂であり、肉体はこれ霊の影にすぎない、

そして、神の子である私たちの実相は、唯一の神から分かれてきた光そのものである。

ということでありました。

では、そうしたすばらしい存在であるならば、反省ということ自体、必要ないのではないか。
そうおっしゃられる方もおられるかもしれません。

しかし、実際はそうはなっておりません。
なぜそうなのか。
そこには、深い深い叡智がかくされているのだと思います。

神は、わたしたち人間に永遠の生命を与えてくださいました。
そして永遠に進化していくことができる世界をも与えてくださいました。

そうしたなかで、神はわたしたちが本当の幸福を手に入れて行くことを、望んでおられるのではないでしょうか。
そして、その幸福とは、おしきせのような、ぬるま湯につかったような、そうした幸福ではないのだと思います。

私たちが、永遠の進化の旅路の中で、本当の意味での幸福を得ていくために、
反省ということが、どうしても必要になってきます。

では、その反省とは何なのか、反省の本当の意味とは何なのか、

そのことについて、非常にわかりやすく、かつ平易に説明されている書を紹介させていただきます。

この書は、ユーモアを交え、そして私たちの現実問題にそくした説明になっています、
これは高橋信次というかたが、一人でも多くの人に、反省の本当の意味を知ってほしいという熱意の表れではないかと思います。

では、以下にその書を紹介させていただきます。
今回も以前と同様、数回に分けてのご紹介となります。

少し長くなるかもしれませんが、どうか最後までお読みいただきますよう、よろしくお願いいたします。


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人間は何故反省する必要があるのか

まず最初に、反省ということが出ましたが、これは、ある意味では先程語った道徳にも関係があることです。

何故人間は反省する必要があるのか、まずここから入って頂きたいと思うのです。

あなた方、宗教に目覚めた方というのは、どうしてもお弟子さんとかを養成し始めると、
まず反省しなさいと言ってしまいます。

反省ということは、先見的というか生まれる前、先見とは先に見るということですね。

生まれてくる前から反省というのはいいことだと、或いは、反省がいいことか、
悪いことかという議論の土俵に載せなくとも、反省自体がいいことだと、こういうふうに思い込むことが多いです。

それから、善悪の問題、道徳論的に人間は良いこともするし、
悪いこともするから、良いことはいいけれど、悪いことをした時に反省して、
そして道を改めるんだと、こういう考えがあると思います。

それは、その程度のことは子供でも分っているんです。

ところが、私も著書の中で、随分述べましたけれど、反省の本当の意味というのは、
単なる善悪を計る、或いは悪いことを正すためだけの基準ではないのです。

人間にとって悪い行い、或いは悪い思い、こういうものが良くないから、これを反省するだけではないんです。

反省というのは、本来の自己に立ち返るための、神が子に与えてくれた慈悲なのです。




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高橋信次霊言集 -反省とは- 2  

高橋信次霊言集―同時代への福音



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三歳から五歳ぐらいの間に自我が芽生える

よいですか。人間というのは、生まれて、オギァと言ってから物心つくまで、
大体十才、或いは十一、二才になってくると、まあ中学生になってくると、世間のことがある程度分るようになります。
それ迄にすでに心の歪みを造ってくるんです。

まず幼い時、子供が純心無垢かというとそうでもないんですね。
まず欲しいという気持ちが子供にも、赤ん坊にもあるんです。

ミルクが飲みたい、そのためにオギァと泣く、或いは母親に抱いて欲しい或いはおしっこがしたいとか、
こういうものの欲求ですね。幼い子供たちは欲求というものがあります。

この欲求をまず外に表わします。そして、その欲求に対する答えを求めます。

そして、その答えが自分の思った通りの答えが返ってこなかった時に、彼等は泣いたりします。
或いはわめいたりします。

この時すで自我の芽生えがあるのです。ただ、幼い子供たちはコミニケーショソの手段を知らないために、
どうしても皆同じようなことをします。自分の欲求に対する答えを求める、答えがこなければ、まあ、暴れてみたり、我儘を言ったりします。

しかし、三才ぐらいまでは大抵の人はそうでしょうが、これは三才から五才、五才から七才、
このぐらいになる内に、だんだん自我がもっと大きくなってきて、その本人の魂の傾向が露になってきます。

もう五才ぐらいになってくると、例えば、同じ物をねだるにしても、
こういうふうにねだれは効果がすぐ出る、というのが分ってくるんです。

だから、ミルクが飲みたいと思えば、例えばこういうふうにすれば一番効果が出る。
或いは哺乳ビンを投げ捨ててみる。
或いはとにかく泣いてみる。色々な方法をみんな考え始めるんです。

その中に、もうすでに自我の芽生えが出て来て、例えばどうしても自己中心的な人、
或いは控え目な人、というふうにこのあたりで色々出てくるのです。

だから、世の中の人々は、まず三才から五才ぐらいの間の自分について、かすかな記憶はあるはずです。
これをもう一度考えて頂きたい。

その時にやはり、我儘な自分というので出て来ているんじゃないかどうかを考えてみて下さい。




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高橋信次霊言集 -反省とは- 3  

高橋信次霊言集―同時代への福音



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五歳から七歳ぐらいの問に、他人との比較を考え始める

或いは五才から七才、こういう年齢に近づいて釆ます。
そうすると人間は、他人との比較というのを考え始めます。

まず、幼い赤ん坊の時には自分の欲求が答えられるかどうかだけだったのが、
五才から七才ぐらいになると他人との比較を考えます。

或る時は幼稚園へ行ったり保育所へ行ったりしています。
もうそろそろ小学校に上がってくる年代です。

他人との比較です。あの子は成績がいい。あの子は走るのが速い。あの子はいつも綺麗な服を着ている。
あの子はいつもおやつを貰っている。お小遣いが多いようだ。

こういう他人との比較というのが出てくるのが五才から七才です。

ですから皆さんも、この五才から七才というのを振り返る時に、他人との比較という面において
自我が出て来たかどうか、これを点検する必要があります。




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高橋信次霊言集 -反省とは- 4  

高橋信次霊言集―同時代への福音



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七歳から十歳ぐらいの間には、人を裁く眼が出てくる

又、七才を過ぎて、これが八才、九才、十才になってくるとだんだん世の中のことが分ってきます。

小さいながら、小さい自分でありながら、世の中のこと、或いは先生のこと、同級生のこと、
或いは兄弟のこと、こうしたことが見えてきます。

ですから、自分の兄や姉、或いは弟と自分との関係、父親、母親が弟と自分をどのように扱っているか。
それは公平でないとか、兄ばかり可愛がって自分を可愛がってくれないとか、
そういう家族の中での自分の置かれた立場というのを考え始めます。

また、この十才ぐらい迄の間には、いわゆる限定的な意味で、社会の仲間入りをしてくるんです。
世の中のことが少し分ってきます。

学校という所があって先生が居るんだけれど、先生というのもただ神様みたいなんだけでなく、
先生にもいろんな人が居る。いい先生が居て、悪い先生が居る、或いは先生もまた上役が居て怒られたりしているらしい。
或いはこの先生はビシビシ言ってくれるけど、この先生は言ってくれない。

こういう、人を裁く眼が出て来ます。
これが大体十才ぐらい迄の間の人なんです。

最初言ったように、まず三才から五才ぐらい迄の間は、自分の欲求が叶えられるかどうか、
五才から七才ぐらい迄の間は、人と自分との比較、七才から十才ぐらいの間には、
人を裁く限というのがだんだん出てくるんです。

こういうふうに人間というのほ、その置かれた環境・教育・思想・習慣によって
だんだんにその本来の心というのがねじ曲ってくるわけです。



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高橋信次霊言集 -反省とは- 5  

高橋信次霊言集―同時代への福音



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十歳から十五歳ぐらいの間に自我我欲の気持ちが強くなる

そして、十才から十二、三才、このくらいになると、非常に自己保存・自我我欲の気持ちというのがはっきりしてきます。

十才を過ぎると、他人と自分という区別がはっきりついてくるんです。
物心がつくと共に、他人と自分というのがはっきりしてきます。

それで他人と較べた自分、これがはっきりしてきます。

例えば、或る家庭に生まれたあの子はこういう扱いを受けてる。
あの子は裕福だから塾にも通えるけど僕は通えない。

あの子は算数ができるけれど、それはお母さんが教えているからに違いない。
或いは、お兄さんが優秀だから教えてくれるに違いない。こういうことは社会の縮図みたいなんです。

年代的に言えば、中学生ぐらいになると社会の縮図みたいになってきて、
社会の中、環境と自分というのを考え始めます。

それともう一つは、この中学生の時代、十一、二才から十四、五才の問に性への目覚めというのがあります。
この部分が今、教育も非常に遅れていて大人たちもどういうふうに扱っていいか分らないために、
性に対する考え方、本当に正しい考え方ができない。

そのために、子供たちは今、混乱に陥っています。
こういう環境の中での自分、社会の中での自分、それから男女の、異性の問題ですね。
これを考えるのが大体中学校の頃です。この頃にまた違った考え方を身につけてしまう人がずい分出てきます。

ですから、十五才ぐらい迄におかしくなってくる人も現代では相当出てきています。



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