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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

神霊界入門 -生まれ変わりの池- 1  

神霊界入門128-181




私がここで紹介しています書籍は、どちらかというと法といいますか、少し抽象的に傾いているかもしれません。

私が伝えたい主な事は、人間は肉体ではなく魂であり、あの世とこの世の間を転生輪廻を繰り返しながら
永遠の進化を続けているのが、私たちの本当の姿であるということです。

よってもう少し、あの世の世界の描写や、霊人がどうのような生活を送っているのかという、
具体的な説明があったほうがよいと考えて、この書を紹介しようと思います。

書籍名は「神霊界入門」となっていますが、他の書と同様の霊言書というものです。

つまり、ある霊人が霊声者を通じて語りかけた内容が、そのまま書籍になったというものです。
そこで、この書の霊人はいったいだれなのかというと、「小桜姫」という方です。

この「小桜姫」という方について、少し説明をしておきたいと思います。

日本の心霊科学研究の草分け的な存在として、浅野和三郎という方がおられました。
この方は、大正から昭和にかけて活躍された方で、多くの心霊関係の著述を遺しておられます。

その中の一つとして、「霊界通信 小桜姫物語」というものがあるのですが、
この書は、浅野和三郎氏の奥様である多慶子夫人に、霊界人である小桜姫が霊言という形で伝えたものです。

「小桜姫」という方は、今から約五百年前の足利時代末期に生まれた実在の人物とのことです。

前回の通信から約五十年を隔てて再び送られた霊界通信が、この「神霊界入門」ということになります。
この書の内容は非常に親切でわかりやすく、霊界での生活についても、かなり具体的に書かれているので、
初心者の方にとっても最適の書かもしれません。

今日は、この書の中に、生まれ変わりについて非常に具体的な内容が書かれているので、
その部分を紹介してみたいと思います。
2~3回に分けての紹介になると思います。
以下がその本文です。

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さて、今日はもう一つ別の話をするためにやってまいりました。
あと三十分から四十分ほどお時間を頂戴したいと思います。

あなたもまだよくご存じないようなこととして、転生輪廻のしくみについて、お話しましょう。

人間の魂が幾代にもわたって生まれ変わるということはご存じですよね。

けれども、実際にどのようなしくみで生まれ変わりがなされているのか、
また、どういった過去世を生きたら、どういった未来世が待ち受けているのかといったことを、
詳細に述べられたものは、それほどないと思います。

そこで、こちらの世界でも魂の段階に応じて住む世界が違うことは、すでにあなたもご存じのことですが、
それらの段階別にどのような生まれ変わりがあるかということを、私の知る範囲でお伝えしたいと思います。

まず最初の例は、江戸時代にある藩にお姫様として生まれ変わった人の話です。
その人の名を、かりに千姫と呼んでおくことにしましょう。

千姫は、過去世においてはチベットという国に、今から一千五百年くらい前に生まれました。
そのときは、とても厳しい修行の人生を送り、一生独身で、まあ、いわば尼さんの生涯を送りました。
そして五十七歳で、ひっそりとした人生を閉じたのです。

この人は十八歳のときに、ひじょうに恋焦がれた人があって、その人と連れ添いたかったのですが、
その人が仏道修行のために出家をしてしまい、とうとう結婚は出来なくなってしまったのです。

そこで他の人といまさら結婚する気にもならず、そのスミレのようなうら若き女の身を、
やはり仏の道に投げ入れることになったのです。

けれども、その女心の深い底にあるのは、やはり、心に思った人への憧れ、真の仏道修行ではなく、
死んであの世に還ってからこそ、その恋する人と一緒に夫婦になりたいという思いでいっぱいでした。

やがてそのような恋心を押し包んで尼として生きた生涯を終え、こちらの世界にやってまいりましたが、
やはり心のあり方は、仏の境涯にはほど遠く、女としてもっと人間的な一生を送りたかったという
気持ちでいっぱいでした。

もちろん想っていた人とは、こちらの世界で一度きり会えましたが、彼の修行がはるかに進んでいたために、
とうてい夫婦になることもできず、ある人の紹介をうけて、私、小桜のもとを訪ねてきたのです。



-生まれ変わりの池- 2

category: 神霊界入門

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神霊界入門 -生まれ変わりの池- 2  

神霊界入門128-181



前回のつづきを紹介いたします。
以下が本文です。

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その日は、そうですね、ちょうど小春日和のような穏やかな日で、朝から小桜の胸には、
「ああ、今日はだれか私を訪ねてくるな」という、虫の知らせのようなものがありましたので、

じっと待っておりますと、ちょうどお昼前後頃だったでしょうか、歳のころは二十八歳ぐらいの、
尼さんの姿をした彼女がやってまいりました。日本の尼さんに近い格好で頭巾を被り、
紫色の袈裟のようなものをまとい、足は白たびでした。

右手には、なぜか、巡礼が持つような鈴のついた杖を持っておりました。

「あの、小桜姫様をお訪ねもうしたいのですが。」
「私が小桜です。さあ、こちらに上がりなさい。」
といった会話から始まり、彼女の身の上話を延々と何時間も聴きました。

小桜も結婚こそいたしましたが、死に別れた夫のことで、心の修行を重ねてまいりましたので、
そういった点が共感を呼んで、彼女を私のもとに呼びよせたようです。

彼女の願いは、もう一度人間として地上に生まれたい。

ついては、日本の国が仏国として栄えているゆえ、もう一度この国に生まれ、心を入れ替えてここで修行をし直し、
こちらの世界に来ている、心に思い染めた人と同じ境涯にまで達して、
あらためてその人と夫婦になりたい、というものでした。

なるほど、「女の一念岩をも通す」と申しますが、この方の場合は、「女の一念三世を通す」とでも申しましょうか、
とにかくすごい思い込まれようです。

しかし小桜は、この女性が、また尼さんのような生涯を日本の国で送ることに反対いたしました。

そのような恋心で仏門に入っても、結果は見えていると申しますか、前回とおそらく同じになってしまうし、
それではせっかく、小桜たちの国まできて生まれ変わる意味がないではないですか。

そこで、小桜はまったく反対の生涯をこの女性に提案したのです。
つまり大名の家にお姫様として生まれ、華やかな生活を送る中で悟るという生涯です。

小桜の意見では、人間は格別に仏門に入らなくとも、日常生活のなかで悟ることも可能だし、
神様はおそらく、私たち女性に対しては、むしろそちらのほうを望んでおられるに違いありません。

女の人は、正常な結婚をして、貞淑な妻として夫に仕え、家庭の要となってゆくなかで、
神の道、仏の道に誘われるのだというのが小桜の考えですし、また、私が現在、神様の一人として
小桜神社に祀られている理由も、私が神の道、仏の道を修行したからではなく、女として生きた一生のなかに、
神仏の心に適うところがあったからだと思います。

この女性は丸一日、私の話を聴いて納得しました。

ところが次は、いったいどうしたらお姫様として生まれ変わることができるかが問題となりました。
私もそのへんのことは詳しくありませんでしたので、いつもの指導役の龍神のおじいさんにお願いしたところ、
こういうことを伺いました。

つまり、それぞれの産土神のお治めになる領地の中に、「生まれ変わりの森」という場所があるのです。

生まれ変わりたい人はその森に行くと、そこには小さなお堂があるのですが、
その前で、自分の過去世の告白をし、自分のどういうところをどのように改めたいから、
今回はどういう地域にどういう自分で生まれたい、そしてこのようなことをしたい、ということを願掛けするのです。

祈願の内容が産土神の御心にかなえばすぐに許可されますし、許可されない場合には、
しばらく産土神の命ずるところへ行って修行を積み、もう一度、生まれ変わりの目的と希望内容を祈願するのです。

こうして、産土神に生まれ変わりを認められると、次は、「生まれ変わりの池」というところを目指して歩いてゆきます。

そこは、「生まれ変わりの森」から歩いて一時間くらいでしょうか、森が途切れた所で、ちょっとした、
そうですね、三メートルぐらいの崖になっており、その下が直径二十メートルぐらいの美しい池になっているのです。

その池を崖の上から見下ろすと、予想に反して自分の姿は映らず、池の中に何層にもなって世界が見えてくるのです
深いところの世界、浅いところの世界などです。

しばらく見つめていると、池の底のほうに自分が生まれ変わってゆく先の世界が見えてきますので、
そこをめがけて思いっきり飛び込むわけです。

いったん池に飛び込むショックでみんな気を失ってしまいます。
そして母となる人の胎内に宿るわけです。

この「生まれ変わりの池」に飛び込むときに気を失うということが、
人間が地上に生まれて過去世の記憶を失ってしまう理由なのです。

この「生まれ変わりの池」に飛び込むところが崖になっている理由は、
それだけの覚悟をして生まれ変わってほしいという意味からです。

なかには、この崖まできて、気が弱くなって引き返す人も出てくるのですが、
たいていは、その人の守護霊や指導霊に説得され付き添われてもう一度帰ってまいります。

ごくまれな例としては、産土神にお詫びをして、やはり霊界にとどまる人もいるようです。

そういった人は、やはり生まれ変わりの時期が来ていないのであって、
まだまだ霊界で勉強しなければならないのです。

産土神もそのことを十分承知しながら、本人に自分自身で思い直してもらうために、
「生まれ変わりの池」まで行かせることがあるそうです。

ところで例の女性ですが、無事に「生まれ変わりの池」までたどりつき、
首尾よくお姫様に生まれることができましたので、どうかご安心ください。
これが生まれ変わりの一つの例です。

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以上が「生まれ変わり」についてのお話です。
いかがでしたでしょうか。

少しでも霊界の雰囲気がつたわれば幸いに思います。
この書には、他にもさまざまな描写がありますので、折に触れて紹介してゆこうと思います。




-生まれ変わりの池- 1

category: 神霊界入門

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神霊界入門 -無頼漢地獄-  

神霊界入門128-181



前回は「スウェーデンボルグ霊示集」ということで、
天界での生活のありかたについて紹介させていただきました。

今回は、趣を変えまして、地獄とはいったいどのような世界なのか
そうしたことについて、紹介させていただこうと思います。

地獄も広大無辺のようで、さまざまな世界が出来上がっているようですが、
その中でも、代表的にものについて説明させていただければと思います。

「神霊界入門」という書籍のなかで、小桜姫というかたが、
そうした、地獄界について具体的に、わかりやすく説明してくださっています。

では、今回は第一回として「無頼漢地獄」を紹介させていただきます。
数回にわけてさまざまな世界を紹介いたしますので、ご覧になってください。

では、以下が本文です。



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さて今度は、「霊界における地獄霊の救済」というテーマでご報告をいたしたいと思います。

難しいことを書くことを苦手とする小桜にとっての唯一の強みは、
こちらの世界に来てからの体験だと思います。

これだけは他のだれにもお譲りすることができない、私だけの宝物です。

でもこの宝物をみなさまにお見せしたからといって、少しも値打ちが減るものではありません。
ですから今回も、小桜の体験を中心に語ろうと思います。

体験だけでは間延びした文章になりかねませんので、時折、
小桜らしい教訓を付け加える非礼をお許しください。

ここでみなさまにお話しすることは、ここ百年ぐらいの間に、
小桜が何度か指導霊に連れられて地獄の世界に行ったときの話です。

地獄の世界がどんなものなのかは、地上におられるみなさまも、昔話には聞いておられましょうが、
ほんとうのところはどんなものかと、ずいぶん興味をお持ちでしょう。

あるいは、もう人生の大半を生きてきて、年齢的にも信仰深くなってきている人は、
もしかして、自分は地獄に堕ちるんじやないかしらんとソワソワとしはじめたころかもしれません。

ここで述べるのは、あくまで小桜の見聞した地獄であって、
地獄も広大無辺のようですから、何千年かかってもわかってしまうことはできないようです。

ではお待ちかね、第一の地獄にご案内いたします。

無頼漢地獄

ここは、地獄でもまだ浅い地獄です。空はうす墨色で、日没後か、夜明け前のような感じです。
周りの景色はうすらぼんやりはしていますが、かなりはっきりしています。
近くには川が流れています。ちょっと悪臭のある川で、あまりいい気持ちはしません。

それもそのはず、浅瀬には人間の死体が何体も沈んでおり、
なかには片手だけ虚空に伸ばしている死体もあります。

しかし近づいてみると、この死体だと思っていたものが、
実はまだ水の中でうごめいていることがわかりました。彼らはまだ生きているのです。

そうこうしているうちに、川の上流のほうからワーッという声が上がりました。
見ると二十人ぐらいの人びとが、二人の男女を追いかけてこちらに来ます。

どうやら橋のたもとのところで、二人とも捕まったようです。
荒縄で橋のたもとに縛りつけられてしまったようです。

男も女も、二人とも、すり切れて泥まみれになった着物を一枚着たきりです。
男の額の傷からは血がしたたり落ちています。

と、そのとき、雷音のような声がとどろきました。
追手のなかでいちばん大きな男です。身長はゆうに三メートルはあります。

またその腕の太いこと、小桜の太ももを二本合わせたぐらいあります。
かがり火に照らし出された男のその顔は、話に聞く赤鬼そっくりです。
ないのは角ぐらいで、口からは確かにキバとおぼしきものが生えております。

この大男の号令で、川岸で五人の男どもが刀を研ぎはじめました。
大きな青竜刀のような刀です。川でジャブジャブ刀を洗いながら、砥石で刀を研ぐのです。
シャリン、シャリンというとてもいやな金属音が、冷え冷えとした空気を通して伝わってきます。

そのかわいそうな男女は、赤鬼の奴隷のようにしてこき使われていたのですが、
とうとう二人で逃げ出してしまい、追っかけてきた彼らにつかまってしまったのです。

それから二人が青竜刀で切り刻まれて、
川の中に、死体のごとく投げ込まれたシーンはご想像に任せるとしましょう。

小桜の指導霊のお爺様が言うには、かわいそうなカップルは、江戸時代のころ、
村の掟にそむいて駆け落ちし、結局は情死してしまった男女だそうです。

彼ら自身は実際は村人に追われて殺されたわけではありませんが、
追いかけられて村人に殺されるのではないかという恐怖心でいっぱいだったのです。

その恐怖心が死後の世界でも続いており、こうしてまた、人殺しの好きな連中につかまっているのです。

どうやらこの世界は、肉体的な恐怖心の支配している無頼漢地獄のようです。
この地獄では、いつ自分の生命が奪われるかということがわからない恐怖の世界なのです。

今様に言うなら、サドとマゾの世界とでも言いましょうか。
ここで小桜が、指導霊から教えられたことは、人間を不幸にする最大の敵は恐怖心だということでした。

恐怖心の大部分は、ほんとうはありもしない恐怖におびえているのです。
自分は死ぬんじやないか、迫害されるんじやないかという恐怖心ほどバカバカしいものはありません。
なぜなら人間は生き通しの生命であり、ほんとうの実相の世界は、互いに愛しあう大調和の世界だからです。

ここで殺された若い男女は、白分たちの生命が永遠に不滅だということを悟るまで、
何回でも鬼たちに殺されることになります。その意味で鬼たちは、彼らの教師なのです。

また一方、鬼たちは、怒りに燃えて人を殺すことの空しさを気づくまで、
何回でも、同じ人を殺すことになります。

この意味で、殺される男女の側も、鬼ともにとっては教師役なわけです。

この無頼漢地獄で、小桜はつくづく思いました。
人間は恐怖心を取り除かないと幸福になれないのではないかと。

そして恐怖心を抱いてその人が不幸になるのは、決して他人のせいではないということを。
恐怖心というものも、ある意味では他人はみんな自分を害そうと思っているとする利己主義者の心なのです。

人間は互いに愛しあい、信じあってこそ神の子なのです。
他人が自分をいつも害していると思っているような人は、たいてい、自分も他人を害しているものです。
他人から傷つけられたと思っている人も、それ以上に他人を傷つけているかもしれません。

この地獄でも、人間は神の子で生き通しの生命だと気づくまで、彼等は二、三百年は殺しあいを続けます。

その後は殺しあいにあきて、ある者は悟って天上界に、
あるものはさらに残忍さを帯びて、いっそう深い地獄へと堕ちてゆきます。

この無頼漢地獄では、四百年も五百年も暮らす人はまれで、
たいていはこのように、二、三百年で他の境涯へと移ってゆくのです。

ですからこの世界にいる地獄霊を救うには、
このニ、三百年目ぐらいに来る節目をのがさないようにしなければなりません。

彼らが殺戮にあきあきし、疑問を感じ始めたときに、光の天使たちが彼らを説得に駆けつけるのです。

この世界でも神様は、自力救済というものをある程度重視しておられるようで、
本人の心が神に向きはじめたときに初めて、天使たちが彼らを救うというような仕組みにしているようです。


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いかがでしたでしょうか。
次回は第二回として「土中地獄」について紹介させていただこうと思います。



category: 無頼漢地獄

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神霊界入門 -土中地獄-  

神霊界入門128-181


前回に引き続き、第二回として「土中地獄」を紹介いたします。
現代に生きている私たちにとっては、深く考えさせられる内容かもしれません。
ですので、よくよくご覧になっていただきたいと思います。

では、以下が本文です。


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土中地獄

では、前日に引き続き、第二番目の地獄に今夜はご案内いたしましょう。
この地獄はまだあまり、文献その他には出ていませんが、「土中地獄」と呼ぱれます。

その名のとおり、土の中の真暗闇の中に閉じこめられたまま、
息もたえだえで窒息しかかった人が、大勢苦しんでいます。

よく見ると彼らは、モグラと同じで、一人一人が自分の穴をもっており、
目の前のわずか一メートルぐらいの空間のなかで、息をしたり手で土を掘ったりしていますが、
穴が狭いため、向きを変えることもできず、足も膝をついたままです。

小桜が驚いたことは、この土中地獄には、現代のサラリーマンが多いことです。

ネクタイ姿で、白いワイシャツを着て、穴ぐらのなかで這いつくばい、何やらもだえ苦しんでいるのです。
どうやらこの地獄は、現代の息づまるような管理社会が生み出した地獄のようです。

ここにいる人の特徴は、要するに対人恐怖、
いやな上役や部下からのがれたいという気持ちでいっぱいの人が多いということです。

一人っきりで、真っ暗の中でうずくまっている姿はまさに現代サラリーマンの姿そのものでした。
彼ら一人一人は、お互いの姿を見ることはできないのですが、小桜の眼には、彼らが土中の穴で住んでいる姿は、
どこかの都市のワン・ルーム・マンションをそのまま地下に埋め込んだかに見えます。

この地獄は、ここ数十年のうちに出来た新しい地獄なので、
まだ、どうやってこの地獄にいる人びとを救い出したらよいのか、
その方法論が光の天使たちの間でもさかんに議論されております。

彼らのうちの大部分は、だれとも口をききたくないといった態度なので、まったく困ってしまいます。

ここにいるサラリーマンは、職場では面従腹背のイエスマン、
家庭は残業や度重なる出張、単身赴任などで、まるで氷のようで、妻や子とも口もきかない状態、
そういった長年の生活に疲れはて、モグラのようにだれもいない真暗のところで、じっとしていたいと望んでいるのです。

読者のなかには、この描写を読まれて、
自分ももしかしたら同じ地獄に堕ちるのではと思っている方もいらっしやるでしょう。

私たちが心から望むのは、人間として生きていたときに、なぜ、
心を打ち明ける友人を持つように努力しなかったのか。

その身体は管理社会に束縛されているとしても、なぜ心は自由に空を飛ぶヒバリのように、
精神世界を飛び回ることができなかったのかということです。

彼らは、自分の心が本来自由自在であり、光に満ちた神の子であることに気づくまで、
この土中地獄から出ることはないでしょう。

彼らが、独りで悩んでいることのバカバカしさに気づくまで、私たちは手の下しようがないのです。
だって彼らは、一人っきりにしてほしいと心から願っているのですから。

どうかこれ以上、孤独な人が増えないことを祈るばかりです。



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いかがでしたでしょうか。
次回は第三回として「擂鉢地獄」を紹介いたします。




category: 土中地獄

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神霊界入門 -擂鉢地獄-  

神霊界入門128-181



本日は、第三回「擂鉢地獄」です。
よくよくご覧になってください。

では、以下が本文です。


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擂鉢地獄

第三番目の地獄にご案内いたします。
この地獄も恐怖満点といいますか、意地悪な言い方をすればスリル満点です。

見ると阿蘇山の火口のような、大きなすりばち状の穴があります。
直径はかなり大きく、ゆうに百メートルはあります。

すりばちの底は、熱湯が煮えたぎっており、ときおり硫黄臭い煙が、中央から立ち昇ってきます。
見方によっては溶岩がフツフツと湧いているようにも見えます。

何千人もの人が、まるで蟻のように群れをなして、
この巨大なすりばちから逃げ出そうとして崖をよじ登ってのですが、
我れ先にと思っている人ばかりで、自分の上をよじ登っている人の足首を握っては、引き擢り下ろしています。

永遠にそれを繰り返していますから、いつまでたっても、一人もこの擂鉢地獄から抜け出すことができないのです。
岩肌を石とともに、ゴロゴロと次々と転落してゆきます。

このあわれな人たちは、どうやら生きていたときに慈悲も愛もなく、
他人を蹴落としてきたエゴイストの集まりのようです。

けれども蟻のように、必死になって油汗をかいてよじ登っている人、一人ひとりを見るならば、
大会社の重役風の人や、学者風のインテリ顔をした人がけっこういるのに驚きます。

受験戦争や、出世競争で他人を情け容赦なく蹴落としてきた人たちが、そのツケをここで払っているのです。

崖の傾斜そのものは、それほど急でもなく、みなで助け合えば次々とこのすりばちからは逃れることができるのに、
その「助け合う」ということが、何十年、何百年たっても、わからない人たちが多いのです。

小桜から見れば、たったそれだけこと、どうしてわからないのかと思うのですが、
彼らは自分が助かることで頭がいっぱいなので、小桜の言葉になど耳を傾けてくれません。

「この忙しいときに、そんなくだらないたわごとを言わないでくれ。」といって撥ねつけられてしまうのです

他の地獄霊の方々も同じですが、結局本人の自覚が進むまでどうしようもないのです。

小桜たちも呆然として、この亡者たちの群れを眺めるだけでした。
人間として生きていたときに、どのような人生観を持つかということがいかに大切か、
しみじみと思われたことでした。



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いかがでしたでしょうか。
次回は第四回として「畜生地獄」を紹介しようと思います。


category: 擂鉢地獄

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