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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

天照大神の降臨  

天照大神の降臨128-184




現代の日本人が忘れてしまった考え方、古来、日本人が持っていた、とてもとても大切な考え方、
しかし、歴史の彼方に消え去ってしまったかにみえる、その考え方について考えてみたいと思います。

私たちの生命、この世界、現世、来世を含めたすべての世界、いっさいがっさいのものは神により与えられたものです。
そして、それらを存続させるため、無限のエネルギー、愛、そして光を供給してくださっています。

そうした神様の愛に対して、感謝するということは、人間として当然のことでありますが、
肉体を持って、この世に生きているうちに、与えられることが当然、無償で与えられていることがあたりまえ、
そのようになってきます。

しかし、こうした考え方はあきらかに間違っています。

今、私たちは古来、私たちが持っていた、日本人が持っていた精神、それを思い返してみなくてはいけないと思うのです。

その考えとは、「神を畏れ、うやまう」という心ではないでしょうか。

古来から伝わる神道の言葉に「畏み、畏み、謹んで、人間達よあれ」このような言葉があると思います。
偉大なる存在、大いなる存在にたいして敬意をはらい、心空しくして教えを受ける。
こうした考え方が、非常に大切ではないかと思うのです。

今は、自由の時代です、個々人の自由が許されている時代です、それはそれですばらしいことではありますが、
それが行き過ぎた自由となり、各個々人の自我我欲のみを追及するようになってしまっては、本末転倒ではないでしょうか。

今の時代の混乱は、その個々人の行き過ぎた自我の衝突によって、引き起こされていると思うのです。

私たち人間は、神によって創られた、小さな小さな存在です。

その小さな存在が、全知全能であるかのごとく傲慢になってはいけない、謙虚にならなくてはいけないのです。

すべてを与えられた神にたいして感謝をするとともに、謙虚に謙虚に礼節をつくすこと、
それが人間にとって、非常に大事なことではないでしょうか。

そして、この礼節の考えは、私たちの日常生活、日々接する人々に対しても表してゆかなくてはならないのです。

神にだけではなく、人生の途上で出会う人々に対しても、礼節でもって接してゆかねばならないのです。

それはなぜか、私たちはみな、すべてが神の子です、自分のみではない、この地球上のすべての人々が神の子であり、
神に愛されている存在であり、神の理想実現のために創られたすばらしい存在なのです。

その神が愛されている存在であるがゆえに、すばらしい存在であるがゆえに、
礼をもって、礼節をつくして接してゆく必要があるのです。

「すべての人々が神をうやまい、神の下に謙虚にへりくだり、
神の下において平等であり、神の御心において共通する人間、それらが仲間として相集い、
仲良く、睦まじく、調和して生きてゆく。

他を傷つけてはならない、他の者をいつくしめ、共に神の子として愛し合え、共に神の子としてお互いを高めあえ。

そして、何が真であり、何が善であるかがわからぬときは、よく話し合って調和を第一義として打ち出しなさい」。

これが、大和の心であり、天照大神の御考えであるように思えます。

この世を去った天上界、特に、この日本の上空にとでも申しましょうか、
そうした霊域に、日本古来の神道の神々が住んでおられる所があり、

そこが「高天原」と呼ばれている所であるようです。

そこは、まさしく大和の心を体現した、すばらしい天国であるようです。

日本人として生まれ、日本にて魂の修行にはげんだものであるならば、
いつの日か、一度はそこに、足をふみいれてみたいと思うものです。




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