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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

日蓮聖人霊示集 -カルマの法則-  

日蓮聖人霊示集128-177


この書は、他の霊言、霊示集とは少し趣きを異にしています。

それは、この書は各個人に対する人生相談、その人それぞれの人生問題に対しての回答集となっているからです。

この本には、老若男女を問わずさまざまな人たちが登場します。
そして、その個々人に対して、日蓮聖人が回答を与えているわけですが、そのなかでも特筆すべき事があるのです。

それは、質問をされている方々の、今世だけではなくて、前世、または前々世を紐解いたうえで
その人に対する、今後の方向を指し示し、アドバイスを与えているという事です。

結局、今世生きている人間にとって、その悩みがなにゆえ発生したかはなかなかわからないことが多いのです。

「どう考えても自分がこのような不幸に見舞われる理由はない」と、人は考えがちなものなのです。

「播いた種は、刈り取らねばならん」という言葉がありますが、世の中を見てみると、それほど悪い種を播いた
とも思えないにもかかわらず、次々に病気に見舞われる人、次々と事業の倒産や、不幸に襲いかかられる人、

また、それほど努力をしていないと思えるにもかかわらず、スイスイと成功をしていく人、そのような人がいるのです。

こうした人たちを見るにつけても、その現象、つまり幸福と不幸の現象の発生点は、決して現在あるいは今まで
生きてきたわずか数十年のなかにだけあるのではない。

そこに到るには、永い永いその人の魂の過去の転生の歴史があったのである、と感じられるわけです。

この書のなかで、ある精神病院のお医者さまが出でおられます、その患者さんへの接し方、治療法などで
非常に苦慮しておられ、それに対してアドバイスを求めておられます。

そして、それに対する日蓮聖人の回答なのですが、その方の前世を紐解くと、今からおよそ七百年前のヨーロッパは
イタリアに生まれておられ、その時の職業が錬金術師をされていたとのこと。

それは、鉛を金に変えることであり、その時にかなり多くの人を迷わせていたようです。

「私の言うとおりにすれば、鉛を金に変えられる」という事で、かなりの人からお金を巻き上げていた。
この人の言うことを聞いたがために、家庭を失い、路頭に迷った人もいたようです。

よって、今世においては、カルマの刈り取りの意味を持って、要するに、狂った人びとを、迷った人々を救いたい
そういう気持ちを持って生まれてきているわけです。

実際、この方の患者さんの中には、過去世において迷わせた方が相当数おられるとのこと、
昔では奪った人が与える立場に、奪われた人が与えられる立場になっている、
みごとなカルマの刈り取りであると思います。

こうした事実から考えてゆくと、誠実に生きている人は、必ずどこかで報われるということであり、
誠心誠意生きている人、良心的に生きている人は、永い転生の過程において、必ずその天に積んだ富や宝が
その人のものとなって、素晴らしい人格として出て来るようになるということです。

その逆に、その過去において残忍であったり、非道であったり、冷酷であった人たち、そうした人たちは必ずどこかで
その自ら出した残忍さや冷酷さ、他人に対する容赦ない言動、この刈り取りをさせられるということが
言えると思うのです。

これは、そうしたことを強制する人がいて無理やりにやらされているというよりは、魂自体のなかに自らの
バランスを取りたいという機能が、埋め込まれているからなのです。

したがって、極端な行為や極端な思いでもって自らの人生を非常に片寄りのあるものとした時に、魂自体が
それを修正しようとする傾向を持っているのです。

つまり、魂というものは、丸いゴムボールのようなものであって、ある所を圧迫しひっこめると、
他の所が広がる。しかし、ひっこめられた部分は必ずもとの所に戻ってこようとする、こうしたものなのです。

人間の魂というものは、常にボールのように丸くありたいという理想があって、その理想を時間の経過のなかで
必ず実現することとなっているのです。

それゆえに、どんな経験であっても、全体的にバランスよくその人の人格が発展していく以外では、極端なものが
出た場合、それの修正ということを余儀なくされているのです。

それは、ボールであるということ自体に伴う現象のようなものです。

ボールがボールとして丸くあるためには、内壁を押す空気の圧力が、すべての面において同じく働いていなければ
いけないのです。そのなかでもしいびつな部分があるとすれば、全体としてうまく働いてゆくことが出来なくなるのです。

この書は非常に興味深い書であると同時に、三世をつらぬいて生きる私たちへの、大いなる指針となるはずです。
どうか、この書をよく読まれ、自らのカルマを断ち切って、真に勇気ある人生を生きていってほしいと思います。



category: 日蓮聖人霊示集

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